6.遺影選びと、葬式の手配
亡くなった当日の夜中
最初の父との面会の後に
葬儀の手配についてスタッフの方と話した際
「遺影をどうするか、決めてきてください」
との話があった。
「遺影の写真と、その他に
故人様のお写真を20枚までお預かりしまして
それを、スライドショーにして
お式の前にお流しします。よろしければ」
せっかくだからと
葬儀手配の打ち合わせ時間までに
あまり多いとは言えない父の写真を
12枚ほど見繕って持って行った。
幼少期、小学生くらい、
家の庭で飼っていたという
犬と一緒の写真、思春期の写真。
若いころ好きだったスキーをしている姿、
母と結婚したてのまだまだ青二才な顔、
会社のゴルフ旅行のときの写真。
写真を見ていると、こうしてたくさん
積み重ねて一生懸命生きてきたろうに、
父の人生は一体なんだったのだろうかと、
本当に虚しくて、悲しくなった。
父は昔からあまり派手に笑える人ではなく
元から多くはない写真の中で
笑っている写真はもっと少なく
選ぶのはなかなか難儀した。
特に、顔をクシャッ、として
笑っている写真はほとんどなく、
何人もで撮られるときにはいつも
端か後ろの方に目立たないように映っている。
そういうところに
父の性格というか性質というかが
如実に表れているなぁと思った。
「そんなんだから、
死にたくなるんだよ……バーカ。
勝手に死にやがって。ふざけんな。
お父さんも、もっと感情出して
笑えるような人なら良かったのにね」
悲しみや後悔や自責の念だけではない
本当に色んな感情の中で、やっぱり
勝手にいなくなった本人に対する怒りもあった。
私は躊躇なくそれを、家族の前で吐き出した。
泣きながら、時に笑いながら。
ちゃんと自分の思いを伝えた。
なぜならそれは、家族の誰もが、
自分が弱音を吐くべきではない。
励ましあわなければいけない。
前を向いて強く生きていかなければ。
と、きっとどこかで思っていたろうからだ。
けれどそんなに人間は
強くいられるわけじゃない。
だから、泣いていいんだよ、
泣きたいだけ泣こう、悲しもう、と伝えた。
自分にも言い聞かせるようにして。
翌日の15時ごろ。
再度、葬儀場へ
祖父母以外の全員で向かった。
現実味もなく今何が起きているのか
まったく腑に落ちていないまま、
お葬式の手配となった。
父が死んだということも、
自死だったという事実も、
なんにも受け止められていない状況で
なぜ自分がこんなことをしているのか
甚だ疑問でならなかった。
[ あれ……今、私
お父さんのお葬式の手配してるんだよな。
なんだこれ、なんだこの状況…… ]
前の日からフワフワと
ぼーっとした頭のままで、
そんなことをぐるぐると考えた。
他のみんなも同じような気持ちだったと思う。
なぜ、今私はここにいるのか、
なぜ、父の葬式の話なんかしているのか。
自分の思いも、現実も、なんだか
理解の及ばない遠いところにいた。
パンフレットを見せられて
供花や、棺や、骨壺が
どんなグレードのどんなものがいいとか
そんなこと、どうでもよかった。
それでも何とか気を張って
「供花はこっちのほうが
色がたくさんあって明るくていいね」
「遺影を入れるフレームは
黒だと暗いから明るめのグレーにしよう」
「棺も何の色柄もない木じゃあ寂しいから
もうワンランク上のこの白いのにしよう」
などと色々と考えて、みんなで決めていった。
12月は毎年亡くなる方が多いらしく
葬儀場の式のスケジュールの調整は
なかなか大変そうな印象を受けた。
「直近で、空きは9日以降ですね」
お寺の住職へ連絡を入れて
9日以降で話を伺い、何とか調整してもらったところ
火葬場のスケジュールも加味して
式の時間は朝の8時30分から開始、となった。
そうか、父さんは死んじゃったんだよな。~⑥第一章:父が死んだ。これは夢か幻か~
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