2.警察の現場検証
実家の駐車場まで着くと、車両の上に
赤いサイレンのついた白いワンボックスカーと
警察のバイクが停まっていた。
駐車場から家まで行く通路の真ん中には、
叔父が呆然と立ち尽くしていて、
私が帰るのを待っていてくれたようだった。
私が抱きしめると、叔父は無言で
それまでこらえていた感情を開放するかのように、私を力強く抱きしめ返した。
お互い少し泣いたあと
「1階にいるからすぐに2階に行け。お前には見せたくない」
と叔父が言った。
それから母が家の裏口から出てきて、
泣き腫らしてぐしゃぐしゃになった顔を
さらにぐしゃぐしゃにして、泣いた。
母を抱きしめまた少し泣き、いつもの裏口へ向かった。
裏口を入るとすぐのキッチンの向こう側、
リビングダイニングに父の姿は見えない。
「見ずにすぐ2階へ行け」と言われたが、
父の最後の姿を見たいという好奇心にも似た気持ちがあった。
しかしそれとは裏腹に、見てしまったら
どうしようもなく立ち直れなくなるような気もした。
恐る恐るもう少し進み、キッチンカウンターの
死角になっていた場所ものぞいたが、
やはりリビングダイニングに父の姿はなかった。
その日、自分が何を言っていたかの
詳細は覚えていないが、
我慢している感覚もなく、
自分でも不気味なほど平然とした態度で
気丈にしていたように思う。
階段の手前、玄関に通じる廊下を見ると、
何人か警察の人がいて、
さっき電話をくれた上の弟が
警察の質問に受け答えてくれている。
警察のいる廊下には、クローゼットがある。
家の中に戻ってきた母に「どこで?」と聞いたら、
奥のクローゼットで……とのことだった。
クローゼットの扉は開き、
現場検証中だということがうかがえたが、
階段の前の位置からは、
やはり父の姿はまったく見えなかった。
複数人いた警察の人は、恐らくそれぞれの
役割ごとなのだろう、着ている服が違った。
「処方されていた薬はありますか。なければお薬手帳でも大丈夫です」
この一年、父は妹と私が付き添うかたちで、
精神科へ通っていた。
数年前から双極性障害を患っていただろう父は、
まるで別人格にとって代わられたかのような
躁状態が二年以上継続したあと、
ゆっくりと鬱状態へと移行していった。
いや、ゆっくりと、というのは
私たちが見る限りであって、
昔から寡黙で自分のことを話さない父だ。
本当はもうずっと鬱に入った当初から、
苦しかったのかもしれない。
ここにきて鬱状態が急激に酷くなっていた父は、
亡くなる一週間前、最後の通院の日に
「眠れない」ということで睡眠薬を処方されていた。
薬を探す必要があるのは、
たとえば副作用の影響があったり、
オーバードーズの可能性もあるからなのだろう。
「あ、お薬は睡眠薬だったんですね」
この時はお薬手帳しか見つけられずにそれを渡したが、
警察は精神を病んでいた、という時点で、
処方されたのは精神の薬だと思っていたらしかった。
現場検証は、現場の状況から
他殺の可能性を洗い出す意味もある。
自死に見せかけた他殺の可能性がある以上、
どれだけ悲惨な状況であろうと、
家族は警察に対して情報提供を行わなければならない。
明らかに自死の現場だと見受けられる場合であっても、だ。
そのため警察から、家族の心情に配慮した
現場検証に対する協力願いの紙が渡されていた。
その存在に気付いたのは、警察がいなくなってから
ずいぶん経ってからだったが、
有難いことだなと思った。
仕事で慣れているとはいえ、
誰もが平気でできることではない。
突然の家族の死を前に狼狽する遺族に対する
心遣いやその応対の態度のすべてに頭が上がらない想いがした。
~第一章:父が死んだ。これは夢か幻か②~
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