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ある夜の、サウナ室内で

銭湯にいるおっちゃんたちはとてもユニークだ。
各地域の銭湯でおっちゃんの生態も違うのかもしれない、とさえ思う時がある。

僕は大阪の銭湯でアルバイトをしていた時期があった。銭湯の浴室内を点検で見回る機会があるのだが、彼らはみな、幸せな、いや、完全に力が抜けきっている、脱力した表情を浮かべながら、湯に浸かっている。

スタッフの僕は知っている。
客観的に彼らの表情を見ていると、1日の疲れを癒し、肩まで湯に浸かり、銭湯の暖簾をくぐることでしか感じ得ない幸せが、浴室にあることを知っている。

服を着ている状態で、浴室をうろつき、
その際に垣間見える彼らの表情に一切の疑いがない。何の疑いか、それは銭湯に来ている人はみな、性善説のタイプの人間ですらないのか、と思う。

裸の付き合い、とよく言うが、僕が湯船に浸かっているとき、客観的に僕の表情は見えない。
周りの湯船に浸かっているおっちゃん2.3人しか見てないだろう。いや、彼らすら見えてないくらい、湯船というささやかな幸せに浸かっている時さえある。

さて、話は本題に戻るが、大阪にいた時、週に8軒くらいの銭湯に足を運んでいた時期があった。
(土日のどちらかは1日に2軒)

主に、大阪府内の銭湯に行っていたのだが、
大阪を感じれる(?)愉快なおっちゃんたちがいたので、彼らの生態を忘れないためにも、ここに記述しておこうと思う。

ある日、市内の銭湯に足を運んだ。
その時期はコロナ禍真っ只中で、【黙浴】というものが、銭湯組合から推奨されていた時期だったはずだ。

浴室のおっちゃんたちは、特に会話をすることなく、カランを1席ずつあけ、規則正しく身体を洗っている。この光景になぜだか、安心感を覚える。

銭湯に赴けば、その街の生活を垣間見れると思っているが、どこの銭湯もだいたい同じ光景(カランのおっちゃんたち)で、そこに安心感を覚えているのかもしれない。見ず知らずのおっちゃんたちの間に風呂桶を構え、同じように頭から洗っていく。

ここにも僕の知らない人たちが、
この街で生活している。

そう感じれるのも、
銭湯の面白いところかもしれない。

身体を洗い流し、サウナ室の壁を叩く。
ここの施設はどのようなサウナ室の構造になっているのだろうか、と心を躍らせる。

僕が訪れたサウナ室は比較的小さめで、
3人掛けの席が3段になっており、
9人が限界だろうと思う。

そして、中段の端に空きを見つけたので、サウナマットを敷き、目を瞑ろうとしたその時、サウナ室内では聞き覚えのない音が耳に入る。

「シャカシャカシャカシャカシャカッ」

僕は不思議に思った。
この音はなんだろう。聞き覚えはあるな。

「シャカシャカシャカシャカシャカッ」

上の方から聞こえている。
そして、一定のリズム。

僕は音の鳴る上段へと振り返ってみる。

なんと、そこでは、
上段の端でおっちゃんが歯を磨いていたのだ。

僕は衝撃だった。
いや、何に衝撃だったのかは分からない。

ただ、[サウナ室で歯を磨く]という、発想が僕にはなかった。それに、サウナ室で歯を磨くのはご遠慮ください。といった注意書きも見た事がない。
なので、実際になんでサウナで歯磨いてるねん!
と、注意するつもりもさらさらない。

ただ、衝撃的だっただけなのだ。

違う銭湯のサウナ室では、筋トレをしているおっちゃんや、身体についた汗を振り払い、下段に座っていた僕にその汗が飛び掛かる事などがあったが、そのようなものは[サウナ室で歯を磨く]の前では所詮、そんなこともあるよな、の程度で済ませれるのだ。

今回のサウナ室では、
幸か不幸か室内にBGMやテレビがない。

ただ、遠赤外線のストーブから聞こえる機会音と、上段で繰り広げられるおっちゃんの歯磨き音が交差し、反射し、我々の耳に届くのみなのだ。

考えてみれば、一石二鳥なのかもしれない。
サウナに入り、歯を磨き、水風呂でうがいをする。(実際にはしないと思う)

効率性だけを求めるとこのような行動にでるのもおかしくはない。
ただ、このサウナ室は3人掛けが3段。

室内は満席状態。

平均して7-10分くらいはサウナ室内に篭る計算になる。

歯磨きが終わればサウナ室から出るのか、
7-10分経てばサウナ室から出るのか、
そのタイミングは本人にしか分からない。

僕はまだあと、5分以上もの時間を、
おっちゃんの歯磨き音を、
6人の無言のサウナ戦士と共に聞き続けなければならない。

ある程度、時間が経った時、
上段の歯磨きおっちゃんが立ち上がった。

待ってました!と、
言わんばかりに6人のサウナ戦士が振り返る。

歯磨きおっちゃんのためにも、出口へ、
いや、うがいへと向かう通路を開けなければならない。

歯磨きおっちゃんの口はもう、
破裂寸前にまで、膨らんでいる。

我々からすると一刻も早くうがいをしてもらいたい。

中段に座っていた僕と、もう1人のサウナ戦士が道を作り、下段のサウナ戦士たちも僕らと同じ行動を取る。

そして、歯磨きおっちゃんが下段に向かっている途中くらいで、「ありがとうやで〜」と、声を発した。

それはおそらく、道を開けてくれて、ありがとう。という意味なのだろうが、声を発することによって、破裂寸前にまで膨れていた歯磨き粉という名の爆弾は実際に爆発してしまったのだ。

「うわあああああああああ!!!!」

下段のサウナ戦士の足に、歯磨き粉がかかり落ち、
隣のサウナ戦士はギリギリで回避することに成功した。

サウナ室はパニックに陥り、
熱苦しいサウナ室はさらに蒸し暑くなる。

サウナ戦士同士が元々友達だった、と錯覚するくらい、室内は笑い声や会話に包まれる。これも銭湯のまた、良いところの1つなのだ。

歯磨きおっちゃんは「すまんすまん!」
と、言いながら椅子を拭いている。

戦士たちもみな、なぜか謝り返す。
ある程度ひと段落し、平静を取り戻す。
ように、振る舞う。

こんなことがあるのか?!

いや、ないはずだ。
聞いたことがない。
数多くの銭湯に入浴してきたが、
ここまで自由なおっちゃんに出会ったことがない。

だが、こういう出来事も、汗ともに笑って流せる。

僕は思う。
もう一度、銭湯で働く機会があれば、
[サウナ室で歯を磨くべからず]の注意書きは書かないでおこう。

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