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立場あれど最優先、子どもを守るのが大人

だいすけです。


妻から離婚調停申し立ての理由を見たときに


「え!?」


思わず目を疑い、再度見返す自分がいた。





「精神的虐待をする」



え?むしろ同居時、
妻の陰湿な嫌がらせや家事放棄。
時々発動する育児放棄で苦しむ毎日の中、
遂には子どもの連れ去りと言う
究極の精神的虐待受けた。


過去の記事でその内容には触れている。
今回の記事のトップの写真は嫌がらせのひとつ…
僕が出張から帰ると、視界にいれたくないのか
靴と歯磨きセットが度々寝室の床に置かれていた…


自分がやってきた事に気付いていないのだろうか?


いや、想像ついていたけれど、
調停において精神的虐待を受けたとチェックするとは…



僕は妻へ精神的虐待をしていなかったのか?

ない!と言いたいけれど
受け手次第なのだから。
家事、育児、お金について年に数回お願いをする程度。

でも、妻は自分の酷い状態をわかっていたので、
そろそろ言われるんじゃないか?
と毎日を過ごしていたら精神的に参るだろうな…


ただ、この理由について、

妻、僕が真正面から主張する事で
第三者(裁判官、調停員)が何を判断するのか?



離婚するべきかどうか?の判断材料でしかない。



更に、当事者に話をしたら、
連れ去り側の離婚申し立て理由の
スタンダードらしい。

裁判官や調停員の立場からすると、
年々増加する離婚調停…
ひとつひとつ真摯に対応するのは
物理的に不可能な状態ではないだろうか?

そうなれば、前例に基づく「型」にハメないと
回らなくなってしまうのではないか?


当然、弁護士はそれをわかっている。
弁護士も家事は時間がかかるので、
「型」にハメて早期解決に繋げたいのではないか?



妻と僕の立場、

第三者の立場。



それらを考慮した対応が求めれるのだろう。


ここで気づくのは、この理由を協議する上で
「子ども」の存在がないこと。


大人が子どもを守らずして
大人都合の運用となると、一番の犠牲者は子ども。


調停に参加する

妻、僕、第三者…

みんな大人。
子どもを守るべき大人。


そして、それぞれの立場があって、
それぞれのメリットを有しているのを理解した上で
いかに、子どもの視点に持っていけるか?


僕はここを考えていかなければならない。


性善説に基づいた考え方だけれど、


大人は自身の利益を優先し
子どもを犠牲にすべきではない。


と思っていることを信じたい。


陳述書作成にあたって、
主張しないと不利になるリスクを抱えてしまう?

これらについては
妻側には伏せる方向で進めようと思う。


争うことで犠牲になるのは子どもなのだから。


自分の子どもは誰が守る?
真っ先に親でしょう…

そして、子どももそれを望むもの。


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最後まで読んで頂きありがとうございました。


子どもは大人より
適応能力が高いと言われます。

それは子どもは
自分が無力である事を本能で知っているから。
離婚による環境変化を
子どもは受け入れざるを得ないのです。



「パパもママも仲良く一緒に楽しく!」



と思っている子どもの思いを
大人都合により
子どもの思いを裏切ってしまっているのです。


離婚を考える時、
最優先子どもの視点に立ってどうするか?
日本も明治時代の法制度の運用から、
世界スタンダードの
共同親権での法改正へと向かっています。


離婚を考えている人は、
その事実を子どもがいずれ知った時に


「親のわがままだったな」と思われないよう
「頑張ってくれてたんだな」となる様、


大人都合より子ども最優先で考えるべきと思います。


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共同養育は離れて暮らす「子育て」 子育てなので正解はありません。多種多様です。僕の共同養育もあくまでもひとつのケースですが、共同養育を実践する上で大切な事や考え方、子どもとの接し方等について、ご相談お受けいたします。