パーフェクトブルーを劇場で
ヱヴァンゲリヲン、AKIRA、サイバーパンクという共通項を持っててくれている友人に、ネットの記事を見た段階でパーフェクトブルーを観に行こうと声をかけた。一人映画に抵抗はないんだけれど、どうせなら、と誘いたくなった。
予定を合わせて金曜を迎えた。チケットは争奪戦になると思って、二日前にあらかじめ私が取っておいた。蓋を開ければ満員だった。
せっかく買ったフレーバーソーダをエンドロールで一気に飲むしかないくらいには、緊迫したシーンに気を取られていた。エンドロールに大友克洋の協力の文字に驚いた。
今敏監督作品に初めて触れた。パーフェクトブルーの整理がついてから、パプリカとか千年女優とか観てみようと思っている。
アニメーションが為の演出、難解なストーリーと描写、夢から醒めて再び夢へ、強烈なキャラクター、当時だから許されていたであろう残虐なシーン。まるっとするっと理解することなど到底できなくて、和食レストランで天丼を食らいつつ、モヤっとした感想を重ね合わせて知見を増やしつつ、安心材料を作ろうと必死だった。
私は沈黙や間に対してなんとも思わない。
むしろ得意というか、その隙に目に映る景色を記憶しようとしたり、空調に撫でられたり、違う卓の話し声にちょっと気を向けてみたりして、その日をより鮮明に知ろうとする。
心に余裕があって、外側に神経を巡らせている時間は、声色以上に景色の記憶が残り、肌感覚で記録されていくのがよくわかる。
個人的な傾向としては、喋り続ける以上に、周囲に気を張り巡らせた時間を鮮明に覚えるから、矢継ぎ早に話をするよりも良い思い出に彩られることが多い。居心地の良さを沈黙の中に求めている。
一方で、相手が沈黙でソワソワするタイプだと、とても焦る。
私に用意されている引き出しは、いつも空っぽだ。空白を埋める術も、残念ながらひよっこレベルで、期待には沿えない。
良い聞き手は質問や盛り上げも得意だと聞いてから、私は聞くのが好きと言えなくなった。(どちらかと言われたら断然聞く方と答えるが)
どんどん話が自分から生まれてくる人はとてもありがたく思える。一方的に話を受け取っているだけでも全然気持ち良くやっていられるんだけど、求められている反応と深掘りを手助けする道具を手に持っていないことが多い。
相手を掘る質問が今でも感覚的にわからない。何度か「質問力ってこういうものだぜ👍」とビジネスチックな本を読んだことがあるが、感覚として馴染まなかった。体現できなかった。
ビビッドな感想を寄せ終えたところで、満足げに解散した。友人とあれこれ話せて楽しめたという記憶が先頭に立っていてくれたから、帰りの夜道も特に何事もなく帰れた。
家に帰ってきて、外向けの格好をやめ、考察やインタビュー記事を探す。周辺情報をネタバレありで受け取れる時間に少し悦に浸りつつ。
わかりたい情報を集めると同時に、トラウマになりそうなシーンを何度も目の当たりにしてしまった。ホラーが苦手で遠ざけてばかりいたから、どう対処すれば良いかもよくわからず。
鏡とエレベーターが怖くなって、寝る時間の暗がりも同調して恐怖心を煽ってきた。
とにかく雰囲気に合わないことをして、主導権をこちらに戻す。
寝る前とは思えないくらいにスマホの画面を明るくして、繰り返してしまうほどにハマっている、きしたかのの高野さんを怒らせたい。のYouTubeを観て、ブルーの要素がかけらも無い動画に安心しながら少しずつ眠りに寄せていった。
自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。