蛍光色と情緒邂逅。
下北沢の駅前に13時に集合。
古着とサブカルチャーに陶酔した、メタルコアバンドのTシャツと80'sのデニムに身を包み、目が茶髪で隠れている男の前に現れたのは、橙色のパーカーで親しみやすさと陽気さを公に訴えかけてくる、少し小柄で髪をアップにして朗らかさが窺える声高な男だった。
対照的で、住む世界も趣味も違いそうな2人が駅前で再会を喜んでいる。
笑いをこぼしつつ、会話のペースはゆっくりだ。間髪入れずに話すことにどちらかが苦手意識を抱いているのだろう。
茶髪で古着を纏った彼が該当するのは想像に易い。
目を髪で隠すのは、ファッションに自分を順応させようとする高い意識と同時に、自信が無いことを第三者に知らせている。ただのファッショニズムに魅せているが、実はSOSの役割を担っているのはまだ一般の認識には程遠い。
文化的な理解に長けていても、倒れたときに呼ぶのは誰もが救急車である。
頼りの綱は社会の網に引っかかる他には無いようだ。
掬いあげられることがないのなら、それは広い海に生息する一匹の魚でしかない。地上の目に届くためには、上手に掬われるためにフィッシャーマンにアピールするか、海から自分だけの力で這い上がる術を身につけるかの二択しかないのだ。
目が髪に隠れて見づらいのは、ルッキズムに対するコンプレックスによるものなのか、それとも生きづらさを克服するだけの力をまだ身につけていない自分をまだ評価して欲しくないのか、大人になりきれない不服さをサブカルチャーに発散しているのかは、彼にしかわからない。
入り乱れた心情を形にしたような古着男子とは相対して、オレンジ色に光っているように映る陽気そうな彼は、笑顔の在庫を切らさずに次から次へと明るい表情のレパートリーを変えていく。何も考えていないのか、悩んだことはあるのだろうか、空元気だったらどうしようとか勝手に心配になるぐらいにはエネルギッシュだ。橙のパーカーのせいで勘違いしている可能性は拭いきれないが。
一見アンバランスで接点が少なそうな2人が、レトロさに独自の発展を重ねた下北沢駅の小田急中央口で集合している。そんな違和感を感じさせない情緒が下北沢の魅力になった。
文化の多様に寛容な街には、世間的に”変わった”人が集まる。
今日の下北沢は明日の下北沢の羨望を轟かす。街の表情は天気に左右されながら、人が生きる時間よりも遙か長い道を見据えて、深い呼吸をしている。
自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。