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みんな大好き「養育費」問題

養育費不払いを責めれば人気者

 「養育費不払い」は皆大好きなトピックだ。お金をもらえないシングルマザーを取り上げれば共感を得られ、養育費を払わない別居親を非難することがまるで正義かのように語られる。これでもか、という感じに養育費を払ってない側を叩きのめす。そして周りはそーだ!そーだ!と騒ぎたてる。それは子供の頃に見た完全懲悪の話のように分かりやすいプロットとなっている。「養育費不払いはけしからん!」と言えば、一躍、人気者になれるのだ。

 が、実はこの問題、そんな簡単に善・悪を分けられる問題ではないのだ。私もその背景にあることに気づかなかったら、払わない側をひたすら罵倒する、そんな愚かな人間のうちの一人であっただろう。しかし、子を夫に拉致され、見る世界が変わった身としては、責められるべきは必ずしも、養育費を払ってない親ではない、ということに気が付いた。

金だけ払えの法則

 なんなら私自身は今、子供の養育費を仮に払え、と言われても払うつもりは毛頭ない。

 こういうことをこの日本で言えば、それはそれは、ものすごいバッシングを受ける。鬼の首をとったかのように攻めたてる、ヒーロー気取りの人も出てくるだろう。でもね、ちょっと待って。払わない側の話はちゃんと聞いたの?払わない側の何を知っているの?そこに理由がなければ、「払いません」とはならないのだ。ちゃんとその理由に耳は傾けたの?

 私が払わない理由は、ずばりこれだ。

 子供に会えないから

・・当たり前でしょ。
子を無断で夫に誘拐され、認定もされていないDVや虐待を一方的に主張したかと思えば、今度はそれが通じなくなってきたのか「子供が会いたくないと言っている」という、離婚業界ではもやはテンプレの作戦に出てきた。
 子供に会えていないのに金だけは出せ?! は???? 

 最も、まだ判決が出ていないので現状、私に支払う義務は生じてない。でも生じたとしても、この母子断絶状況が変わらないなら、私は一切払わないつもりだ。私の約8倍稼いでいる夫が、払わない私に対し、彼からすれば微々たる養育費を私から巻き上げるために、わざわざ面倒な強制執行の手続きをとるだろうか。微妙だと思う。(※なお、相手が自分より数倍稼いでいたとしても、養育費支払いの義務は課せられる)

 子供を誘拐されて、会うこともできず、金だけ払え!?!?
 ふざけんのもいい加減にしてほしい。

 私は正直、被害にあっている方はもっと大声でこのことを主張すべきだと思う。今は払ってない、というだけで袋叩きにされるから、なかなか思いっきりそれを主張する人は少ないのだろう。でもだからこそ、事情も背景もよく分かってない人々に、悪だ!悪だ!と決めつけられて叩きのめされるのだ。もっともっと、世間に公表すべきだと思う。一体どれだけの人が、誘拐され一切会えない我が子に、金だけ払えという理不尽な状況に、共感するであろうか。興味深いところだ.。

 本心では、私は子供のためだったらいくらでもお金は出したい。出せるだけ出したい。そのためにも働いている。子供と一緒に何かをするためにお金を出したり、子供の笑顔が見れるのであれば、稼ぎも貯金もないけれども、日々の生活費を極限まで削って、最大限出したいと思う。
 でも、親権もある状態で子を誘拐され断絶させられ、子供の声を聞くことすら叶わず、金だけ払え、と言われたって、母親だってそんなバカげたことに同意しかねる。

 でもそういう立場にいながら養育費を払っている方は沢山いる。周りでも何人もいる。むしろ我が子に会えなくても、養育費を払っている人の方が多い、というのが私の周りの印象だ。そういう方はすごいな、と思いつつも、私はそれはできない。すると、おそらく同じ立場からの方からも非難される。あなたみたいな人がいるから、別居親が養育費を払わない、と非難されるんだ、と。断絶されられた親の世界にいると、「とにかく養育費は絶対払え」という"お達し”を出しているのをよく見聞きする。なので私の考えは非難されるであろう。

 現状、私はプレゼントを贈ることもやめた。誕生日、クリスマス、そういった際のプレゼント、お年玉・入学祝といったお祝い金、断絶当初は送ってていた。でも、一切会うこともできず、まるで私は「物を送るどっかのおばさん」のようじゃないか、と馬鹿らしくなってやめた。でもそれらは準備してある。会ったときに渡すね、ということは伝えてある。
 私は物を送るだけのどっかのおばさんではない。親の権利も義務ももった母親だ。子供に物や金をあげるだけが、親としての私の仕事ではない。

 母親として何より大事なのは、子供に無償の愛を与え、生きていく上での様々な知恵を授けていくこと。抱きしめてあげ、目を見て話しかけ、困った時には隣に座って寄り添ってあげる…。それがが親というものだ。そうやって子供は自分が大事にされているということを肌で感じ、自己肯定感を高めていくものだ。

 ところが日本では「金を払う」ことだけがまる親の義務だといわんばかりである。親として教えてあげれる数々のことは何も大事でない、と。それがこの国の方針なんだろうな、というのはとにかく子育てに関しては、「お金」の話しか出てこないということからも感じられる。子供と一緒に過ごすとこんなに楽しいことがあるんだよ、的な広報というのは、国から出ているのをただの一度も見たことがない。「子育て」と言えば、国が言うのはとにかく「金」なのだ。

 私からすれば、逆に、お金は誰でもあげられる物。そして日本は最低限生きていけるような制度になっているはず。私もシングルマザーの知り合いがいるので、その支援が十分とは言えないのは承知している。しかし、金は困っていればある程度もらえるのだ。
 逆に親からの愛情というのは、他の誰にも与えられないものだ。自分の半分のアイデンティ、無償に受けれる最大の愛、本当の親だからこそ伝えられる価値観。そういうものは他の誰にも、あげることはできない。でもそこに触れられることは一切ない。

 子育ては金だ。
 金・金・金。・・それがこの国の方針。親からの愛情はいらない、ということでしょう。

 我が子に会えないけど、金だけ払え。
 こんなことをいつまでも言ってたって、養育費の支払率は上がるわけがない。だって、私みたいな人がいるから。支払い率を上げたいなら、親子が会えるようにし、親が払ってあげたいと思わせること。これだけで間違いなく大幅な改善につながる。