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目をつむって歩いてみた話

今日は新月。

新しいことをはじめる日。

決意を新たにする日。



決意を新たにしようにも、

例えば行ったことのない場所に行ってみることは、今はできない。

cafeで自分と向き合うことも、今はできない。

いつもの日常に、何か新しいこと、これまで経験したことのないことを、取り入れることはできないだろうか。


そう思った時に、ふと、

目をつむって歩いてみよう、と思った。


私の住まいは、閑静な住宅街に、ある。

周りは静かで、車もあまり通らない。ここから見通しの良い一本道をしばらく進むと、家に着く。

その一本道で、目をつむってみた。


普段、何も意識しなくても、歩こうと思えば、右足が出て左足が出ている。歩いていることに対して何も感じていない。ただ、歩いている。


それが、目をつむるだけで、

右足が地面につく音、

左足が地面につく音、

一つ一つがくっきりと意識される。

それだけじゃない。

一歩一歩踏み出すたびに、

その振動や筋肉の動きが

ダイレクトに自分の中で反響しているようでもある。

と同時に、あたまがフラフラしてきた。

歩いていたはずが、

一瞬、

あれ?今何をしているんだろう?

という奇妙な感覚になった。

なんだかふわふわしている…

歩けているのかな…?


少し怖くなって、目を開けたら、10メートルくらいしか進んでいなかった。でも、まっすぐ歩いていた。

そしてまた、目をつむって歩き出す。

さっきよりも、「歩けている」実感がある。

でもまたすぐにフラフラしてくる。

また怖くなって目を開けると、

今度は大きく左にそれて、

もう少しで植木にぶつかりそうだった。

そこから家まで、目をつむったり開けたりしながら歩いた。

目をつむってみると、いかに普段視覚から多くの情報を取り入れているかが実感できた。

目をつむるだけで、歩くということが、どこかに向かってただ進むという行為から、自分が自分の全身とつながる行為へと変わる。


ほんの5分くらいの出来事だったのに、

ちょっと冒険をした気分になった。

家に着いた時、なんとなく清々しかった。

現実は何も変わっていないし、ただ歩いて帰っただけだけど、なんだか今日感じたモヤモヤや不安やちょっとしたイライラは、感じなくなっていた。


今このnoteを書いていて、

つむるって、瞑ると書くんだよなぁ、と実感した。

瞑想の、瞑。

瞑想はまだあまり、上手にできないけど、

今日、目をつむって歩いてみて、少し、感覚が分かった。

明日の朝、この感覚を忘れずに、瞑想してみよう。



こんなちょっとした事でも、

いつもと違う、新しいことを発見できたのは、我ながらなかなかよかったのではないかと思った。

新月から、また新しい日々の始まり。

少しでも、世界の状況が、よくなりますように。






未来を担う子どもたちの健やかな成長を願って…。大切に使わせていただくことを約束します!