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プリズム劇場#008「ほうきを握り直す人」

こちらはラジオドラマ番組『小島ちひりのプリズム劇場』の作品を文章に起こしたものです。
是非、音声でもお楽しみください。
【standfm】
https://stand.fm/episodes/65a163003763b0c9165a0ee6
【YouTube】
https://youtu.be/gueg3KGNp1M
【その他媒体】
https://lit.link/prismgekijo


「また来てね~!」
 笑顔で手を振ると、千鳥足になった客は何度も振り返りながら去って行った。
「ふう」
 大きな溜息を着きながらお店に戻ると、ママは
「お疲れ様」
と言って、カウンターからお水を差し出してくれた。
 私はそれを受け取ってゴクゴクと一気飲みをした。
「あはは! いい飲みっぷり」
とママは笑いながら
「じゃあ、今日もがんばってくれたモカちゃんに、今日のお給料です」
と言って、茶封筒を私に差し出した。
「ありがとうございます!」
と、私は大袈裟に頭を下げながら封筒を受け取り、中身をちらりと見る。
 茶色いお札が1枚と、紫のお札が1枚、緑のお札が3枚。よしよし、封筒を持ってバックヤードに戻る。
 ママはカウンターからホールに出て、残っていた食器を集め始める。
 私は鞄に封筒をしまい、大振りのイヤリングやネックレスを取り始める。「ママ! 着替えたらやりますから置いといてください!」
 ママは
「若い子をあんまり遅くまで引き留めるわけにはいかないからね。今日はもう上がっていいよ」
と言う。
 私は大急ぎで着替えてホールに戻ったが、ママは
「大丈夫。明日も稽古だろ? 今日は帰ってしっかり寝な」
と言い、私を店から追い出した。

 私がこのスナックもみじで働き始めてから3ヶ月が経った。最初は水商売なんて親に会わせる顔がないと思ったが、初めてみると今までのどんなバイトよりもしっかり稼げて辞められなくなってしまった。
 一ヶ月のバイト代が大体19万円。ここから国民年金約17000円。住民税3000円。健康保険料12000円。家賃が60000円。劇団の団員費が15000円。付き合いで大体週に1本芝居を観に行くから20000円。残りが生活費の63000円。何とか生きていけなくはない。でも、この生活をいつまで続けられるのだろうか。

「え? ノルマ代ですか?」
「そう。劇団員はチケットノルマがあって、その枚数売れなかったらチケット代自分で払ってもらうから」
と制作の伊藤さんはニコニコしながら言った。
「ちょっと待ってください。そんな話聞いてません」
「だから、今話したでしょう?」
と伊藤さんはきょとんした顔で言った。
「団員費も月15000円も払っているのに、どうしてチケット代まで払わなきゃいけないんですか?」
「文句があるなら辞めてもらってもいいんだよ。君を受け入れる劇団が他にあるならね」
 そう言うと伊藤さんは行ってしまった。

「先輩もノルマ払ってるんですか?」
 稽古場近くの立ち飲み屋で、勝浦先輩にそう尋ねた。
 先輩は
「俺? 俺はノルマないよ」
と行ってハイボールをグビグビ飲んだ。
「新人の時だけだよ。しばらくの辛抱だ」
 そう言って先輩は煙草に火をつけた。思いっきり吸って、思いっきり目の前に吐いた。
 私の方にも煙が来て、咄嗟に目をつむった。
「まあ、でもいいじゃない。女の子なんだし、まだ若いし」
 先輩はそう言って、灰皿にトントンと煙草を叩いた。
「どういうことですか?」
「女の子は男と違っていくらでも稼ぎようがあるじゃない」
 そう言って私の顔を見て笑った。
「芝居のためなら体売る位の覚悟がないとやってけないよ」
と先輩は言う。
 私は憮然とした表情でゆず蜜サワーを口に入れた。

 次の日、朝一で稽古場の掃除に行くと、竹本先輩がいた。
「早いですね」
と声を掛けると
「最後に稽古場に挨拶したくてね」
と言った。
「最後?」
と聞くと
「俺、劇団辞めるんだ」
と言った。
 驚いていると
「ここにいると、人として大事なものを失いそうだからさ。金ばっかりかかるし」
と先輩は微笑んだ。
「でも先輩はノルマはないでしょう?」
 そう尋ねると「あるよ」と言われた。
「ないのは上の2,3人くらいだよ。チケット売れない癖に、看板役者って事になってるから伊藤さんが勝手に免除してるだけさ」
と竹本さんは言った。
 私が言葉を失っていると
「一生芝居やるんだって希望を持って入団したけど、絶望しかなかったな」
と寂しそうに笑った。
「芝居がない生活は寂しくないですか?」
 私が恐る恐るそう尋ねると
「俺はもう、もっと大切なものがあるから」
 そう言って
「最後に勝手な事言ってごめんな。稽古がんばって」
と稽古場を出て行った。
 私は掃除用具入れからモップを取り出して、ポロポロと泣いた。

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