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CHILAN|飲食をやるために、飲食を辞める選択をした話。

こんにちは、どうも。

広島でモダンベトナミーズと自然派ワインのお店、CHILANのオーナーシェフをしているチラン(@fantoddycat)です。

noteは普段考えていることをつらつら殴り書きかつ思考整理している場所なので、お店の情報はこちらから。

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※自社HP作成中

最近中国新聞U35さんに、自分をつくるmyルールというテーマで【前編・後編】にわたり長々と取り上げてもらったのですが

その冒頭で


一時的に飲食を離れてIT企業に勤めた


とさらっと触れました。全体の構成的にその背景など大幅にカットした部分なのですが、まさにこの決断が当時キャリアに悩んでいた自分にとってはターニングポイントであり、今につながる第一歩だったので、どういった思考経緯と意思決定だったのかメモ的に残しておきます。

メモにしては長いです。
お時間あるときにどうぞ。


人生寄り道も悪くないよという話です。


今後のキャリアに悩んでいる方に読んでもらえたら幸いです。

まず意思決定の前提条件はこちら。

・大企業は絶対性に合わない
・料理だけでなくワインもやりたい
・将来的にお子がほしい
・待機児童問題は回避したい
・専業主婦は断固ムリ

あくまで私の場合の話で、人によって優先事項や順位は変わると思いますが。

以上を踏まえての本編です↓

意思決定.01

「飲食を辞める」

28歳のある日、飲食をやるために飲食を辞めました。

なんでそんなことになったかというと。

2017年夏にワイナリー研修先のオーストラリア・ニュージランドから帰国し、さぁ次はどこで働こうかと考えていたのですが、早くもどん詰まりまして。

まず絶望的に大企業に向いていない人間です。

これは相性の問題ですが、ホールから隔離されたキッチン(閉鎖空間)が苦手なのと、個人の声が希釈されやすく全体の意思決定に時間のかかる集団行動が苦手なのを、今までの人生で自覚していました。


これは高校時代に確立された価値観で、そこは3学年全生徒がお互いを呼び捨て・タメ語でコミュニケーションをとる、おそらく日本では少し異質な学校でした。なんなら先生もあだ名・タメ語。それは敬意がないからではなく、敬意の上に成り立っていました。敬意とは相手が尊敬に値する言動をしていれば自然に生まれるもので、表面的な形だけの敬語に表れるものではありません。

(敬いの強要はむしろ逆効果だと、親子関係で学びました。)

なによりそれぞれがお互いに過干渉するでもなく、異なる意見を尊重し合う空気があり、変な同調圧力のない素晴らしい環境でした。自分のやりたいことを、まわりの目を気にすることなく自分だけの意思でできました。

そして20代後半。


もともと大のこども好きで、そろそろ具体的に考えようかなと思い始めました。とはいえ結婚という制度に特に夢をもつでもない冷めた人間だったので、パートナーがいない人生なら養子縁組をしようとわりと本気で考えてました。この世に生を受けたのに環境に恵まれないこどもと、キャリアに産休育休というブランクを空けたくない自分との相性は、語弊を恐れず言えば利害が一致するのかなと。(ひとり親の養子縁組のハードルはかなり高いですが。)

イレギュラーだったのは、むしろパートナーができたことの方。笑

さて、こどもどうする?

キャリアのブランクを考えるとパートナーがいても養子縁組は選択肢としてありましたが、単純に妊娠出産という自分の身体の機能に興味もあり、一旦挑戦してみることに。レベルアップできそうという単純な思考回路。

さすがにこればっかりは体験しないと理解できないかなと。とはいえ本当に妊娠できるか自分の身体を調べたこともないので、仮にできない場合は養子縁組を考えようと思っていました。

じゃあ、仕事どうする?

待機児童のないエリアで
大企業じゃなくて
育休産休制度が整っていて
仮に保育園落ちたら育休延長してくれて
復帰後時短勤務させてくれて
こどもの体調不良に理解があって
保育園の呼び出しも許容してくれる

そんな職場

どこ??

東京という狭い枠の中で、当時のワタシには見つけられなかっただけの話なのですが。いかんせん条件多すぎるわ。。

もう、探す膨大な労力とストレスに耐えられず。

今はそういう職場もあるのを知っているのですが、当時はそれが極度のストレスとなり、だいすきな飲食を嫌いになってしまいそうだったのでそうなる前に離れる決断をしました。

過去の話なので文章に書き起こすのは簡単なのですが、当時は吐くほど悩みましたね。。今まで培ってきたもの全て捨てるんですからね。周りの目も怖かったし。

意思決定.02

「飲食以外のスキルを身に付ける」

飲食を離れて、人材ITの会社でアルバイトを始めました。正直選り好みできるほどその業界にリテラシーがあったわけではなく、知り合いがいたからくらいのノリです。あと(飲食出身目線で)時給がよかったから。笑

これは将来的に飲食に戻る前提で、あくまで育休産休育児で飲食を離れるブランクの間の安定収入をつくるための選択でした。それまでエクセルに売上打ち込むくらいしかしたことのない超絶アナログ人間だったので、触るもの全てが新鮮で刺激的で面白かったです。新しいサービスにいちいち感じていたアレルギーにも近い拒否反応もなくなりました。感謝。

しかもありがたいことに現場で評価され、正社員登用の打診も。結局飲食に戻る意思は捨てられず、無責任にやるわけにもいかないので一旦契約社員という落としどころに着地。

正社員という雇用形態に固執してないので、まぁ自由な感じです。

意思決定.03

「広島に移住して飲食をやる」

飲食を離脱してからここにたどり着くまでに2年4ヵ月。なぜ広島なのか。単純です。パートナーの地元だから。畑が近く、テナントが安くて、待機児童が無縁なうえに、義母が保母資格保持者というオマケ付き。ほぼ即決です。

問題はいつ行くか。

2人とも東京で仕事があるので、タイミングを測りきれずにいました。が、正直予想よりだいぶ早まりました。

2020年夏くらいに移住できればとふんわり目処をつけ(オリンピック時にカオスな東京にいたくなかっただけ)、2019年末年始に一度下見に帰ろうかという話に。そこそこのポジションにいた彼が会社を簡単に辞められないことを予想して、1年前の打診なら調整きくのでは?と勤務先の社長にジャブを打ちに行くのを送り出しました。


「ええやん。そんなん辞めんでもできるやろ。早い方がええな。年末いけば?」

というまさかの返答。笑
さすがに笑った。笑

この社長さんは親子ほど歳が離れているわけでもないのですが、私のことも娘のように可愛がってくれている優しい人で。一生頭上がらないです。

意思決定.04

「飲食営業は1人でやること」

正確には彼は経営を、ワタシが営業を、と役割分担するということ。

個人経営飲食店の特性として、その場所に固定されてしまうデメリットがあります。お互いに当時の現職の仕事を持っていくことになったので、毎月出張がある彼の存在ありきの運営には無理がある。そしてワタシはスタート時点から人を雇いたくない。結果自分1人でやることを決めました。

これは前々から想定済みでした。そもそも共同営業の共倒れリスクを負いたくなかったので無難な選択かなと。

ちなみに彼がソムリエ兼ワイン卸の営業なので、ドリンク発注や管理などはほぼ丸投げできるのも大変ありがたいことです。

(この意思決定は準備中に軌道修正し、結局2人で営業してます。ありがたや。)

いざ広島へ

ということで大枠4つの決断を経て、広島移住を決めました。

まっすぐたどり着けたわけではないですが、いままでの意思決定を正しかったと言えるのも応援してくれたたくさんの人たちのおかげなので、まずお礼を言いたいです。

広島という地から、皆さんに恩返しできればいいなと思います。

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