『ブラック・ウィドウ』と家族の関係性

■ Watching:『ブラック・ウィドウ』

2022年の1本目として、遅ればせながらマーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)の24作目『ブラック・ウィドウ』を見た。

- 家族の愛と絆の形

これまでのMCU作品においてブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフについて明かされていたのは断片的な情報のみで、どのような時間を過ごし現在のナターシャが形作られたのかはほとんど明かされていなかった。フェーズ3までの段階では、彼女の相関図にアベンジャーズ関連以外でポジティブな線を引ける先があるとは想像していなかった。むしろ、彼女は一人で生きてきたのだろうと思っていた。だからまさか彼女を主役とした作品が家族の話とは想像していなかった。

この作品に登場するナターシャの家族は所謂「偽装家族」だ。家族4人を繋ぐのは血ではない。行動の指針は無償の愛というより、ひとつの共通の目的であった。特にナターシャ、エレーナ、メリーナを動かすのは。

とはいえ愛によってではなく目的によって行動を共にするのが「偽装家族だから」ではないとも思う。例えばそれが戸籍上の家族であっても、「家族だから一緒に行動するのが当たり前」という考えに基づいて行動することばかりを礼賛する必要はないのでは?と考えさせられた。そして、無償の愛によって行動しないからといって、そこに愛や絆が存在しないという訳ではない。

- ナターシャとエレーナの対等な関係

これは本当に恥ずかしい話なのだけど、見終えて一息するまで実はエレーナが姉でナターシャが妹だと思っていた。冒頭の子供時代のシーンで、青髪の子がエレーナ、金髪の子がナターシャだと思い込んだのだ。

私の極端な物分かりの悪さをひとまず脇に置き、なぜ勘違いしたままでも問題なくラストまで迎えられたのかと考えてみると、ナターシャとエレーナの関係性の対等さに思い至った。

偽装姉妹だからと言われてしまえばそれまでだが、2人は"姉"や"妹"という役割から解放されているように見えた。殺し屋としての力に大きな差がないことやコミュニケーションのとり方もさることながら、「姉/妹だから○○(しなければならない)」というのもほとんど見られなかったように思う。その関係性は単に姉妹という言葉で表すよりは、同じ苦痛を同じように味わってきた者同士、同僚や同志と言った方がしっくりくるような気がした。

そしてブダペストでのカーチェイスの後、そんな2人が酒を飲み交わすシーン(とその後のドライブシーン)が本当に最高だった。劇中で一番好きなシーンかもしれない。私はずっとあんな女同士の関係に憧れている。

(まず子供時代のシーンで子供の名前を呼ぶという行為が一般的な「家族のシーン」と比較すると少なかったように思えた。とはいえ特に重要な部分においては名前がしっかりと出ていたので、完全に私の不徳の致すところ…である。)

- あれで良いのか?アレクセイ

21年後の女性陣がそれぞれに家族への思いを持ちながらもサバサバとした対応をしていたのが大層クールだった反面、変にジメジメ感を出していたのが"父"、アレクセイだった。女性陣3人を見て、こういう家族の在り方も素敵だなという思いが強かったので、個人的には「あれは悪目立ちだったのでは…?」という気さえしてしまった。なんというか、思春期の娘が父親に対して抱くような感情を、私も彼に対して抱いたというのが近い。

昔はそんなことなさそうだったのに突然家族推ししてくるセンチメンタルさがちょっとダサく感じられてしまったので、せめてアクションで見直させられるようなシーンを作ってくれれば…と思わなくもない。

アレクセイ側の立場に立って考えられないので駄目なのかもしれない。エレーナはアレクセイの父性らしきものに救われていたかもしれないしね…

- 単体で見た『ブラック・ウィドウ』、MCUの一角としての『ブラック・ウィドウ』

『ブラック・ウィドウ』そのものは、かなり好きな作品だった。家族の描き方、特に姉妹の関係性についてはかなり好きだったし、女性の解放を描いているところも良いと思った。オープニングの映像とその裏で流れるニルヴァーナの『Smells Like Teen Spirit』のカバーの不穏さはそれだけで心掴まれた。全体を通してMCUらしくなさもありながら、アクションのシーンはやはりMCUらしかった。MCUが好きだと言う大前提があるので、それを一旦忘れて、スパイを生業とする女性のストーリーだと考えてもすごく良かったと言うと思う。

ただMCUという連続した作品の一つであることを思うと、エンドクレジットからポストクレジットでどうしても考えてしまうのは、この後のナターシャの死だ。

前述したように、私はナターシャにとっての家族はアベンジャーズだけなのだと思っていた。家族がいるから死ねない、いないから死んで良いというわけではもちろんないのだけど、「クリントには家族がいて自分にはいないからナターシャはあの選択をしたのだ」と自分に言い聞かせていた。でも、ナターシャにも家族と思えるだけの存在がいたのだと思うと、ほんの少し心がささくれ立ってしまう。クリントにはまだ幼い子供がいるから、ナターシャ自身もクリントの家族を知っているから、あの選択をせざるを得なかったのかなと思うと、やっぱり複雑な思いを完全には拭いきれない。まあでも…仕方ないのだろうけど…分かるんだけど…という…

こんな私はきっと『ホークアイ』を見るべきなのだろう。そろそろ本格的にディズニープラスへの課金を避けては通れなくなってきた。

(2022.01.06)

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