ロールモデルとしたい人|自分の浅ましさを見つめられるようになってきた話

友人と久しぶりに電話をした。

電話を終えると心からの尊敬を伝えたくなる、そんな相手だ。今日もいつもの如くそうだった。それに加えて今日は、これまでとはまた少し異なることを感じた。

「私はあなたをロールモデルにしたい」


その友人のどのようなところに対してそう思うか、書いて考えをまとめようと思う。

① 話を聞くのが上手い

友人の話の聞き方で、すごいと感じるところが2つある。

1つ目は、相手のネガティブな発言のポジティブへの変換。たとえば私が少し自嘲気味になったとき、友人は「それはこういう面もあるので決して悪いことではないと思います」と、瞬時にそれを捉え直して差し出してくれる。わざとらしくなく自然にそれができる。

2つ目は、相手により深くまで話させる質問の仕方。私が話す側のとき、友人はときおり「それはどういうことですか?」と尋ねる。その質問を受けて立ち止まることによって、自分の思考が一段階深まるのを感じることが度々ある。指摘を受けた箇所について、「自分の中では明快な部分だけどさっきの言葉では伝わりづらかったのかな」と思うときも、「自分でも何が言いたいのか曖昧になってしまっているな」と思うときもある。どちらの場合も、もう一度言葉を変えて伝えようとすることで、その「伝えたいこと」が自分の中でよりクリアになる。純粋に、理解しようとしながら聞いてくれているんだと感じられて嬉しいというのもある。

どちらも一朝一夕でできることではないと思う。そしてそれらはどちらもまず相手の話に真剣に向き合うところから始まっている。

② 行動力がある

未来の自分のために、いま行動することができる。友人の話は、「○○したいと思っている」では終わらない。その後ろにはいつも「だから○○している」が続く。

口で言うのは簡単でも、それに向けて踏み出すのはなかなか難しいと私は思ってしまう。友人はその一歩を実際に踏み出せる人だ。

③ 常に勉強している

これは行動力が形となって現れたものとも言えるけれど。

「どうやってその時間を作っているんですか?」と言いたくなるぐらい、継続的に実学を学んでいる。

また現代社会的な物事の捉え方や考え方についても、常にアップデートし続ける必要があると認識し、多くの人の言葉に触れているのだろうと話していて分かる。


正直にこんなことを書くのは憚られるけれど、生来の負けず嫌いと自己愛から、私は自分に似たところのある人を見るとライバル心ばかりを掻き立てられていた。自分の方が優れていると思えることがあると安心した。相手の方が優れていると思うと気に入らなかった。言葉にすると自分の浅ましさが恥ずかしいけれど、これが事実だ。

この友人は、私と似ているところがある。趣味から関心のある物事、仕事、これからやってみたいこと等、共通するところがいくつもある。それでも不思議なことに、この友人に対しては尊敬の気持ちばかりが湧き上がってくる。話をするといつも、私は与えてもらってばかりだなと思う。そして自分も友人に対して恥ずかしくない自分でありたいと思う。人間関係は損得ばかりではないのだとしても、欲を言えば友人にとって価値のある存在になりたいと思う。

自己愛で作った殻に閉じ籠ったり、無用な見栄で雁字搦めになったり。そんな暇があったら、もっと広く色々な人の考えを知りたい。ありのままの自分をまっすぐ見つめて、そのありのままを愛せるように成長させていこう。自然とそう思えるように変わってきているのは、友人から受ける影響や刺激と無関係ではない。


2020年の100の目標の1つ、30番目に挙げたのが「ロールモデルとなる人を見つける」だった。その目標を立てたのはちょうど新卒で入社した会社の退職を目前に控えた頃で、働き方、もっと言えば生き方を変えようとしていたタイミングだった。さまざまな人と積極的に会って対話したい、その中で自分の目標となるような人に出会えたら良いな、そう考えていた。

目標を立てたときは「これから何でもできる!」とキラキラしていた2020年は、蓋を開けてみたらどん底の1年だった。描いていたような楽しい毎日とはかけ離れていた。ワクワクしながら立てた2020年の目標は滑稽に思えてしまい、心の奥底に封印していた。2020年に向き合うのが辛かった。

でもそういえば、この友人に出会ったのは2020年のことだった。友人という間柄の人に対して「ロールモデルとしたい」という考えを抱くことはあまり想定していなかったから気付くのが遅れたけれど。散々だったと思っていた2020年も、もしかして全然捨てたものじゃないのかもしれない。

■ 摂取エンタメ記録

Watching:『殺人を無罪にする方法』シーズン1 4話

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