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『アメリカン・ユートピア』一人ひとりが作り上げる理想郷

■ Watching:『アメリカン・ユートピア』

デイヴィット・バーンによるブロードウェイショーを映画化した作品。

絵本みたいだと思った。言葉と音と動きによって作り上げられた、観る絵本。歌われる言葉が音と動きと共鳴して、目の前にその世界が広がるみたいな感じがした。

中盤、デイヴィット・バーンがバンドメンバーの名前と出身地を紹介するくだりがある。名前と出身地を紹介されたメンバーがソロを演奏する。それが11人分繰り返される。何故だか分からないけれど、そこで涙が出てしまった。

そこから、ライブの見え方がガラッと変わった。

それまで、それはデイヴィット・バーンとバックバンドによるショーだった。デイヴィット・バーン以外の人のことは、11人でひと塊であるかのように、あるいは楽器として認識していた。一人ひとりの名前と出身地が与えられたとき、彼らがそれぞれに異なるアイデンティティを持つ人間であるということを、強く感じるようになった。「デイヴィット・バーンとバックバンドによるショー」が、「デイヴィット・バーンを含む12人によるショー」になったような感覚。

『アメリカン・ユートピア』が"Old White Man(年配の白人男性)"の手によるものであると知ったとき、この人の言うアメリカン・ユートピアとはどのようなものなのだろうか?と、訝しむ気持ちがなかったと言ったら嘘になる。

その中身を見れば、彼は多様性を尊重することをそのショーの中心に据えているのだということが伝わってきた。そればかりか、自分がそのような立場にあることについて、明確に言及をしさえした(そして彼自身も移民であったとは知らなかった)。

それは逆に、私の中に少なからずあった"Old White Man(年配の白人男性)"への偏見を炙り出すものだった。カテゴリーで判断することの危険性を改めて考え、反省する機会を与えてくれた。


デイヴィット・バーンもトーキング・ヘッズもよく知らない、そもそもライブ映画だというだけで誰が出ているかも全く知らない状態だったけれど、「めっちゃ良いから観ろ。映画館でやってたら観ろ。」の言葉を信じてとりあえず映画館に行ってみた。もう随分前の公開で今更…と思っていたらわりとよく行く映画館で上映しているとのことだったので。

結果、本当に良い映画体験ができました。

私は映画館に行くと大抵その作品の面白い・面白くないに関わらず眠気と戦うことになるタチで、いつもある程度緊張しながら椅子に座っている。でも今日はもう徹底的に気持ちよくなるぞ!全部から開放されるぞ!と決めて、その決意の表れみたいに片手にハートランドを持って、一番後ろの真ん中の席にドンと構えてみた。実際に途中少し眠ってしまったのだけど、その眠りに落ちる自分を許す感覚が心地良くて、あ〜幸せだなと思ってしまった。観客としては最低だけど、たまにはその場を自由に楽しんでも良いのかもしれないな(鼾には要注意)。


■ Listening:アフター6ジャンクション

ムービーウォッチメン:『アメリカン・ユートピア』

(2022.04.07)

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