見出し画像

僕の未来予想図③

僕は班長の金田さんを尊敬と感謝の想いを込めていつもカネさんと呼んでいた。
「カネさん、奥さんと籍は入れないんですか?」
いつだったか、昼食時に話の弾みで奥さんから籍を入れていないことを聞かされた僕は、思い切って金田さんに聞いてみたことがあった。
「ウン?そうね、籍ね。そりゃオレだって入れたいよ。でもね脩クン、この国には戸籍とか色々と厄介なことが色々アンのよ。それにオレはもうアイツに何も余計な迷惑かけたくナイんよ。ここで一緒に働いて生きていく。オレにはそれで精一杯なんかもね。」
金田さんはそう言って悲しそうな目をしてみせた。それで僕にはもう何も言う言葉も見つからなかった。以来僕はこの件の話しは二度とするまい、そう心に決めた。

「カネさん、こないだ首相さんがテレビで演説してましたよね。アレ、何だったんですかね?」
僕は首相の演説を見た数日後、風呂で一緒になったカネサンに聞いてみることにした。カネさんはふーん、とした顔で僕の方をみた。まるでそれがどうした?とでも言われたような気がした。
「脩クン、アンなん、オレらには何の関係もないことよ。」
隣にいた中国系のヤンさんが口を挟んだ。ヤンさんはもともと東京の大学に留学していたインテリな方だったのだが、ケンカがもとで大学をクビになり、色々と問題を起こした挙げ句、逃げるようにココに居ついたらしかった。
「関係ないんですか?でもみんな神妙な顔して聞いてましたよ。」
僕がヤンさんとカネさんにもう一度問いただすように聞き返すと、二人は顔を見合わせて声をあげて笑った。
「そりゃあね、脩クン、オレらにはもともとナンもないんだから。関係あるワケないんよ。保険とか保障とか、もらえるヤツらには大事なんだろうけどね。」
ヤンさんはいつも言動がやさぐれていたが、この日はいつにも増して言い方が投げやりだった。優しい眼差しで、やさぐれた物言い、僕にはこの時ヤンさんの哀しみがまだよく分かっていなかった。

「ヤンさん、でも習さんのコワいヤツよりはマシなんじゃない?」
カネさんがめずらしくふざけた調子でヤンさんに言った。
「そうさね。カネさんとこのキムさんとオンナジよ。みんなコワい。ここのヒトも一緒、みんなコワい。ココのヒトの笑顔だって十分コワいんよ。」
ヤンさんはやるせないような笑顔を見せて、力なく笑ってみせた。
「よっしゃ、ヤンさん、脩クン囲んで少し飲もか。」
カネさんはそういうと、湯を上がってさっさと着替えて風呂を出て行った。
少しして戻ってくると、カネさんは両手に酎ハイを抱えていた。いつもの期限切れのヤツだ。味に変わりはないし、ふろ上がりに冷えた酎ハイって僕らにはなかなかの贅沢だった。

僕らの嬉しそうな顔を見て、カネさんも嬉しそうだった。ヤンさんは待ちきれない様子で缶を受け取ると、「干杯」(Gan bei:乾杯の中国語)と言いながら一気に飲み干し、大声で叫ぶような雄叫びをあげた。中国系の人は情熱的で感情表現がとても豊かだ。普段は一緒にいて楽しいのだが、怒ると大変だった。だから大学クビになったんだよね、そう言いたかったが、そう簡単には言えなかった。カネさんはため息をつくように一つ息を吐くと、暮れかけた空を見上げて言った。
「ネエ、修クン、いつまでだってココにいても良いんだけね。でもね修クン、そろそろ人生考えても良いかもね。まだ若いんだし、ココで一生過ごしちゃアカンよ。」
そう言うとカネさんは寂しそうに笑い、酎ハイを飲み干した。

あの頃の僕は何だったのだろう、思い返すたび不思議になる。貧しさと引き換えに、僕には大切な仲間がいた。いや、いてくれたんだ。裕福さと引き換えに、人格をなくし孤独だった自分と見比べていた。何が幸せかなんて、誰がどうやって決めるのだろう。


(イラスト ふうちゃんさん)


この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,940件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?