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忘死郎冥府下り

 冥府の空の色は、薄墨に血をぶちまけた色だった。
 赤子の声が響く風の中、俺は亡者を袈裟懸けに斬り伏せた。

「鎮守裏の池に気を付けろとあれほど…」

 痩せこけた亡者は現れた時と同じく、意味の無いことを呟きながら二つ別れになって地面に崩れ落ちた。

 俺は刀を収め、砂利石に覆われた冥府の道を再び歩き出す。

 ひねこびた木の上で、骨だけのカラスが断末魔の声で鳴いた。
 そして、乾いた笑い声と共に飛び去って行った。

「忘死郎、忘死郎」

 陰鬱な声が耳元でした。
 墓場百足の与八が、俺の髪の中から囁いている。

「忘死郎よ、三途の川が近い」

 それに答えるように、地面の下から泣き声とも、うめき声ともつかない、幽かな声が湧き上がってきた。

「三途の川に、たどり着く前に力尽きた亡者のなれの果てじゃ」
 与八が言った。

 辺りには「純粋な死の臭い」とでも言うべきものがが漂っていた。
 乾かした墓の土、腐る前の死体、忘れられた古戦場、そういった物の臭いが。
 三途の川を越えれば、さらにつよくなるだろう。

「与八、ここは嫌いだ。八歳の時に親父に連れられて来た時から、そうだった」
 俺は、次にくる言葉を半ば予期しながらいった。

「御上意ぞ、忘死郎。御上意じゃ…」
 全く予想通りのことを、与八は言った。

「御上意!ハッ!」
 俺は嘲るように言った。

 うちの殿様にも、困ったものだ。
 だが、御役目とあらば、是非を問うてはならぬ。
 全く、侍とは難儀な生き物だ。

 いつの間にか、薄く霧がかかり始めていた。
 地面には、丸い石ころが敷き詰められている。

 賽の河原。

 霧を通して、そこかしこに黒い影が見えた。
 三途の川へ向かう亡者達だ。
 亡者達の呟きが、風に乗って聞こえてくる。

 その奥から、幽かに聞こえる赤子の泣き声。
 俺は、それを追って歩き続けた。

 突然、目の前の地面が大きく爆ぜた。
 地中から現れたのは、一抱えはありそうな、太くたくましい腕。

【続く】

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人生に焼かれつつパルプを書き続ける