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「臆病」が「従順」を生み、大罪を犯す

世間は偽旗作戦で持ちきりですが、これらの事件はすべて改憲のための世論づくりを目的とした策謀といえます。

いつものショック・ドクトリンですが、自衛隊ヘリ墜落の報道を見ていると暗に中国の仕業感を出していることから、視聴者に「やはり改憲は必要だ」と思うように誘導しているのです。

岸田襲撃という茶番劇も自衛隊ヘリ墜落も予定されていたものと踏まえると近い将来、少なくともリーマン・ショック級の経済危機と改憲、緊急事態条項の成立、戦争が起こすというのは既定路線のようです。

米国では911爆破事件の後に突貫工事的に愛国者法が成立しましたが、今行われている茶番劇も改憲という愛国者法に対応するテロ攻撃ということになります。

以前よりも常時マスク着用者は減少してきましたが、未だに多くのニホンジンがマスクを無駄に着用しています。
これは、企業組織が政府の「マスク着用については個人の判断」というアナウンスを無視し、従業員や下請け業者に強制しているためです。

実際に、末端の下請け業者に「元請業者の施設に入る場合にはマスクを着用者するように」と通達されているのを確認しています。

末端の下請け業者は基本的には個人事業主ですから、これは事実上の下請けいじめでしょうね。
来月の生活すら見えない立場の者からすれば、この要請を無視することなどできるはずもありません。

しかし、その要請を、お願いを断れない、NOと言えないその従順さが、問題を先送りにし、その場しのぎの解決策で自分の首を締め続けるのです。

「その場、その場でラクを選んでいけば、その時はラクであるが、人生はドンドン地獄へ向かって下り坂になっていく。

修羅場を作ることの大切さは、いくら強調しても強調しすぎることはない。

それは今の問題を、今解決するからである。

丸く収めることが、なぜ問題なのか?

それは今の問題を、もっと大きくして明日に送るからである。

今起きている悩みや苦しみは、過去に解決すべきことを先送りにしたからである」加藤諦三

引用終わり

すべての問題をその場で解決できればいいですが現実問題そういうわけにもいかないものだと思いますが、それでも、従うことに慣れすぎて、何ひとつ自分の意見や態度を表明できない、しないのは果たして人間と言えるのでしょうか。

引用させていただいたブログの引用ですが、まさにこの臆病さが従順さを生み出し、その従順さが、凡庸な悪として表現されたこの世界の悲劇を生み出しています。

ニホンジンの臆病さは世界屈指のレベルのように思えます。
DNAに刻み込まれていると思うほどです。

「今だけ、カネだけ、自分だけ」のエリートに従い、その暴力を受け入れ続けることは、単純な逃走です。
自分を守るための逃走ではありません。
逃走というのは、その後に勝利のための仕切り直しを行う目的から「逃げる」という選択を取り、時間を稼ぐのです。

言い換えれば、「従う」という「逃走」は勝利の目的があるなら、戦略的撤退となりますが、漠然と逃走するのなら「侮辱された人間」にしかなりません。

逆に一度でも自らの従順さに逆らえば「負けなかった人間」です。

多くの大人は自分より弱かったり、下の立場の人間を叩いて溜飲を下げる臆病者ばかりです。
子どものまま大人になるとそんなふうになっています。

その発想が、新自由主義的な自己責任論と親和性があるから問題なのです。

貧乏人は努力してこなかったからだ」、「税金を払わない怠け者のために税金を取られたくない」、といった発想になるのです。

自分の人生を改善するのは自分次第です。
これは間違いありません。

それが自分よりも弱い人間を叩く理由にはならないはずですし、単純にめちゃくちゃダサいと思います。
スタートラインが違うのに「努力しなかったから」などと、どうしてそんなひどいことを言えるんだろうと。

確かに自堕落な人間もいますし、いつまでも平和ボケしている連中を見ているとイライラしてしまうこともありますが、それは自分への試練なのでしょうね。

北朝鮮のミサイルなど絶対に放たれていませんし、改憲の必要などまったくありません。

抱朴子」に次の一節があります。

「耳を信じて目を疑う者は、古今の患うる所なり」

要するに他人から聞いたことは信じても、自分の目で実際に見たものを信じようとしない。これは今も昔も変わらない通弊であるということです。

テレビで見聞きしたことを「現実」と認識し、私生活で見聞きしたことは、「信じない」「陰謀論」として処理するというのはよく見かける光景です。

これも臆病さが生み出す現象なのです。
怖くて事実を受け入れられないのです。それを受けれてしまっては、自分の人生や世界観がすべて覆ってしまう、それならばいっそ今まで通り騙されている方が心地よいということです。

ここで、改憲すれば良いと考えている右翼や保守の人達に申し上げたいのが、あなた方は自身を勇気のある人間だと思っているかもしれませんが、まったくの逆です。
自説を曲げないことが信念ではありません。

保守、右翼の信念は我が日本国の歴史や伝統を守り、海外からの脅威から主権、領土、国民を守ることのはずです。その信念は私も持ち合わせています。

自説を時代や状況の変化に合わせて変えていくことが勇気ある態度なのです。
自説を変えること即ち、屈服だと思い込むべきではありません。

保守、右翼なのに、中国資本や米国資本、その他の海外資本に国土を売り渡す連中の改憲をなぜ支持できるのか?

なぜ、防衛を重視するのが右翼なのに、原発問題、食料安全保障についての問題、日米合同委員会の問題、グローバル資本や株主資本主義に反対しないのか。

なぜ、現憲法が押し付け憲法だから自主憲法を制定すべきというのに、今回の米国やCSISからの押しつけ改憲は許せるのか。

なぜ、抑止力が必要だと主張するのに米国に対しての抑止力については何ひとつ触れないのか。
米国は日本を同盟国だと思っていないことは米軍基地とその関連施設の数から言って明らかです。
また、スノーデンの暴露からも明らかになりました。

多くの保守、右翼にはこの矛盾と向き合う勇気がないのです。
これから目を逸らすなら、臆病者です。
論語に有名な一節があります。

「義を見てせざるは勇なきなり」

昔の日本人、武士やエリートは四書五経をやっていました。
保守、右翼を自称するならこの言葉をを実践してもらいたいものです。
ついでに「老子」の言葉も紹介しておきます。

「道の道とすべきは常の道に非ず。名の名とすべきは常の名に非ず。」

これが真正の道(すべての根源となる原理)だと言える道は、「絶対不変の道」ではないということであり、
これが真正の言葉であるといえる言葉は「絶対不変の言葉」ではないということです。

今、保守、右翼に必要なのはその臆病さを克服し、「逆命利君」の精神をもつことです。

過ちを改めないことこそ真の過ちです。
その「改める勇気」が今の平和ボケしてしまった多くの保守、右翼の人たちにあるでしょうか。

臆病者は危険を目前にして恐れ、卑怯者は危険の最中に恐れ、勇敢な者は危険が去ったあとで恐れる。

~ジャン・パウル~

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