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猫に追われた話

家の近くに野良猫の溜まり場がある。
古いアパートの一階の外廊下部分で、夜、通りかかるとよく溜まっている。メンバー全員が揃うと多分10匹くらいだけど、そんなに揃うのは稀で、1匹しかいない日もあれば、3匹くらいの日もあったりと、日による。
いっぱい集まっていると可愛いので、スマホで写真を撮ったりして、毎日その道を通ることを楽しみにしながら、帰宅しているのである。

先日、今日もいるかなと、わくわくしながらその道に差し掛かると、その日はレアな全メンバーが集合している日だった。
わあ!なんて思って喜んでいたところ、一匹の猫が群れを離れ、私に向かって近づいてきて、にゃあ!と声をあげた。
そんなことを言われるのは初めてであったので、え!?何!?などと言っている間に、他の猫も持ち場を離れ私の元に歩き出し、あっという間に私は10匹の猫に取り囲まれてしまった。
猫たちはにゃあにゃあと鳴きながら、私を取り囲んでいる。
私は、その時ガサガサと音が鳴るビニール袋を持っていたので、おそらくそれを餌が入っていると勘違いしているのかもしれなかった。
餌じゃないよ〜と言って、立ち去ろうとしたのだけど、猫たちは、歩く私についてきた。走っても追いかけてくるのである。にゃあ、にゃあ!とこちらに声をかけながら。
しばらくいくと彼らの縄張りから外れたのだろうか、追いかけて来なくなった。
恥ずかしい〜と、めっちゃ可愛い〜という感情が混ざり合い、真っ暗な冬の夜の下で立ち止まり、なんだこれは。初体感の感情である。

そんな興奮冷めやらぬまま家に帰り、寝る前のベッドの中でのこと。
インスタを見ていると、オススメの投稿がずらっと表示されるページがある。私は猫好きで、普段から猫の画像ばかり見ているので、そのページに表示されるのは、八割型、猫。
アカウントページに飛んでみれば、フォロワーが何万人もいる猫もいたりして、まさにスター猫である。こういう風にスター猫になる猫もいれば、今日追いかけてきたみたいに野良猫として生活する猫もいて、その違いは何なのだろうと、ふと思う。

インスタでスター猫になっている猫は、別にスター猫になりたくて頑張ったわけではない。ということは、結局運命というのは本人の努力関係なしに決まってしまっているのだろうか、なんてことを思い始める。ということは!私もどんなに頑張っても、いけるところ、なれるもの、活躍できる場はもう既に決まっているのか。
ということは!!ふと、『置かれた場所で咲きなさい』という言葉が頭に浮かんだ。これは確か数年前にかなり流行った本のタイトルである。読んだことはないけれど。
このタイトル、人間はもうすでに運命が決まってしまっているから、自分の持ち場で最大限いいことをしなさい、欲を起こすんじゃありません、ということなのだろうか。読んだことないので、推測でしかないけれど。
そう思い、ネットでこの本を調べてみた。すると、この本を書かれた方ってキリスト教の牧師さんなのですね。渡辺和子さんという方。
この方の名言集のまとめが出てきたので、読んでみることにした。
その中で、印象的だった言葉が、

今日より若くなる日は無い。今日という日を私の一番若い日として輝いて生きて行こう。

というもの。確かに数年前は私も二十代前半だったのだな〜なんて考えたり、まだ二十代前半の人は羨ましいな〜なんて思ってしまいがちなのだけど。
数年後の私からしたら、今がその、若いな〜いいな〜の時期なのだ。
両親だってそうだし、関わる人全てそう。これからの人生で、今が一番、若い。
そう思うと、今の時間がぐっと重みをもって、宝石みたいに高価なものに思えてきて、今周りにある時間よ、ありがとう。ちゃんとしよ。

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