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停電がないクリスマス

2018年12月25日の夕方、教会の集まりが終わった子どもたちがグラウンドで、リズムに乗って楽しそうに

「クリスマスイリンボコシ!クリスマスイリンボコシ!(Christmas box=クリスマスプレゼントの箱)」

と、くり返し歌っていた。

ラッピングされ、箱に入ったクリスマスプレゼントなどもらったことなんてないだろうに、どこかで見たり聞いたりしたお金持ちの話を、誰かがリズムに乗せて歌い始めたのが広まったのではないか、と学生のタウィナ(Tawina)が教えてくれた。

マラウイは国民の多くがキリスト教信者なので、クリスマスは大切な日だ。年末に近づくと、会話の中に「クリスマス」という単語が増えてくる。ただ、日本人にとってのクリスマスとマラウイ人にとってのクリスマスは全く違うし、他のキリスト教の国のクリスマスの雰囲気とも違うのではないかと思う。

日本人にとってのクリスマスは、恋人と過ごすイメージが強く、「クリぼっち」なんて言葉があるくらい。街はロマンティックなイルミネーションで彩られる。家族でも、クリスマスケーキを食べたり、家の中にデコレーションをしたり、プレゼント交換をしたりする人もいるだろう。その時の状況にもよるが、選択肢はたくさんある。

マラウイでは、クリスマスの日に基本的に家族と教会に行く。お祈りをしたり、ゴスペルを歌ったり、いつもの日曜日の礼拝よりも少しだけ盛りだくさんな内容になるという。子どもたちが少しのお菓子をもらって喜んで教会から出てくる姿も見た。

でも、せいぜいそんなものだろう。都市部のほんの一部の子たちは、豪華な食事が待っているのかもしれないが、農村の大半の家では、年に一度のチキンにありつければいい方だという。

生クリームやチョコレートがのっているケーキなんて見たこともない人がほとんどだろう。イルミネーションなんか街にはほぼなく、この国にいると普通の日だと錯覚してしまう。でも、その見かけによらず、人々はその日を心待ちにし、その日の持つ意味はとても大きい。物がなくたって、気持ちでその日を祝っている。


教会から出てきて集まっていた子どもたちを見て、その時一緒にいたタウィナがつぶやいた。

「今日は彼らが持っている一番おしゃれな服で着飾っていますね」と。

「え・・・?」

正直、私にはそれがおしゃれな服かどうかすぐには分からなかった。シャツは所どころ破れているし、靴だってぴかぴかな訳ではないし、サンダル履きの子もいる。でも、マラウイ人の眼から見ると、一目でそれが分かるのだという。「言われてみたら・・・、そうかも知れない」レベルである。


生活レベルを全く一緒にすることはできないけれど、「なるべく現地の人たちの目線に合わせて生活する」というのが私の海外生活において大切にしたい信条だった。それだけに、クリスマスで着飾っているのかどうかさえ分からなかった自分が、情けなかった。

「まみれているか」

マラウイにいる間、自分の部屋の洗面台の鏡の下に、いつでも振り返られるように貼ってあった自問自答の言葉。所詮、絵に描いた餅だったのかもしれない。

まみれているかfromTTCstudent

物質にあふれた日本のクリスマスと、物はないけれど気持ちで祝うマラウイのクリスマス。どちらにもきっと幸せはある。

もちろん、仏教文化が深く根差した日本と、キリスト教信者が大半のマラウイとを一概に比べることはできないことは承知しているつもりだ。


それでもあえて問いたい。私たちは一体どこへ向かっていくのだろうか。向かっていくべきなのだろうか。



私の住んでいた地区では、毎日電気が来ている時間より、停電している時間の方が長いのが当たり前。

それなのになぜか、2018年のクリスマスイヴとクリスマスは停電が全くなかった。夜、停電せずに電気を使い続けられることの幸せ。それ自体がクリスマスイルミネーションであり、クリスマスプレゼントに感じた2018年だった。

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