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今、生きるということ

お正月から心配事の続く2024年の幕開け

目を逸らしたくなる現実と

気にせずにいられない心が

毎分毎秒、葛藤している。


1月1日、午後4時過ぎ

テレビから鳴り響く緊急地震速報の音

叫ぶように避難を呼びかける声

正直耳を塞ぎたくなった。

でもそれは、遠く離れた人の命を

救うことになるかもしれないし

とても意味のあること。

数年前の自分ならそんなこと思わなかっただろう。


2021年3月末

東日本大震災の被災地を訪れた。

当日見ていたテレビドラマ【監察医朝顔】に

10年という節目の今、訪れるべきだと

なんとなく心を押された気がして。


その直前、3月中旬

東北地方を再び地震が襲った。

東北新幹線が脱線したり

各所に被害が出ていた。

果たして行くべきか、迷いが生じた。

そもそも行けるか、その問題も出てきた。

でも、絶対に行くべきだと思った。

今思う。その決断は間違っていなかったと。


はじめに降り立ったのは気仙沼駅。

駅前に目立った被害の爪痕は無いのだけれど

でも確かに、変わってしまった形跡はある。

不通になってしまった鉄路、

駅名の看板から【次の駅】は消え去って

矢印が行き止まりに向かって伸びる。

まだそれは序の口で。


続いて訪れた地は陸前高田。

そこで本物を見たことは何物にも代え難い経験で。

東日本大震災津波伝承館に展示された

数々の被害を受けた物品たち。

初めて【ひしゃげて曲がった】を知った瞬間

普段見るものがありえない形になっていた。

崩れてしまったまま遺されている

陸前高田ユースホステル、

元の形なんて想像も出来なかった。

そんなもの達を見たから、

奇跡の一本松

当時も既にモニュメントになってしまっていたけど

本当に被災者の方々の希望となったのだろうと

そう感じました。

片付けられた瓦礫により更地と化した場所と

新たに整備された街並みや公園、道路

そのコントラストは痛いほど鮮烈で

生まれ変わった街の【綺麗さ】は

不気味なほど綺麗すぎた。


最後に向かったのは大船渡。

そこにもう、崩れた街並みはなかったけれど

根元から折れた標識は衝撃的だった。

90°曲がったなんて次元じゃないよ、

120°とか、もう下向きになってるの。

そしてそこには、

海が全く見えないほどの高い高い堤防があって、

それでもね、波の音は聞こえるの。

小さな波の音とは言っても、

数日前の地震の記憶、

まだまだ冷たい3月末の風、

そしてついさっき見た被災したモノたち、

それらが頭の中を逡巡して

感じたことのない恐怖を覚えたの。


今この瞬間、北陸で起きていること。

これって本当に他人事じゃない。

この日本にいる限り誰もが直面しうること。

今自分がいるわけでもないし、

知り合いがいるとかでもないけど、

自分が見たもの聞いたことたちが

どうしても心をざわつかせてしまう。

やっぱり目を逸らしたくなるくらいのことが

北陸ではきっと起こっている。

でも、当事者ではないとはいえ

実際に現地で【体感】した人間だからこそ

伝えなくてはいけないなとも思う。

だから今日は独り言じゃないの。


いわゆる写真で見たことのあるような瓦礫達って

実はほとんど遺されていなくて、

遺すことにも乗り越えるべき課題がある。

遺して伝えていくこと、とても大事。

だから今自分は、

こうして自分の思ったこと感じたことを

こうして発信している。

一方で、震災の当事者たちは

忘れてしまいたいくらいの恐怖を経験している。

そこに【伝える】ものがあれば

嫌でも思い出してしまう。

ただ見聞きをしただけの自分でも

些細なことを【怖い】と思ってしまうのだから

実際に経験した人なんてどれだけの恐怖を

感じてしまうのだろう。

だから遺すことは必ずしも正義とは言えなくて

遺さない正義も存在する。

これはとても難しい問題だなと思います。


でもそんな中で、SNSが発達した現代には、

東日本大震災を経験した方々が

あの悲劇を繰り返してほしくないという想いで

多くの発信をしてくださっている。

その想いは絶対に無駄にしてはいけないと

私は思っていて、様々な情報を享受しています。


直接何か手助けできないことはもどかしいけれど

今出来ることを1つずつやろうと思います。

だから今日、まずは【伝えること】から。

もう少し状況が落ち着いたらボランティアにも

協力したいと思っています。

一般ボランティアは、災害のプロ・自衛隊が

来た後に、という情報を得たので

今は情報の取捨選択をしつつ

来るべき日に備えて準備をしています。

現地へ行くことになったら、また現地の様子も

お伝えしようと思います。

現地へ行って何かすることが全てではありません。

少しでも協力したいと考えている方は、

募金などでも協力できるはずです。


結びに、被災地の石碑から1つ引用します。

〈津波が来たとき みんなが

あんぜんなところへ にげる目じるしに、

ハナミズキのみちを つくってね。〉

(ハナミズキのみち(絵本))

2024.1.3

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