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仕事は好きなことなのか、それとも使命なのか。

好きなことを仕事にするべきか否か、というのは永遠のテーマらしい。好きなことを仕事にすることほど幸せなことはないし、仕事にして嫌な部分とか見たくないことを見たり挫折を味わったりして、好きなことが好きじゃなくなったりできなくなったりすることほど辛いこともないだろう。

私も好きなことがほんのちょっぴりの期間ではあるけれどできなくなったことがあって、それは本、というより活字が読めなくなったときだった。

そのときは一日があり得ないくらい長かった。文字が読めないと、何をしたらいいかもわからなかった。

小説は好きだなあと自覚はしていたけれど、多読ではないし、忙しいときは本を読まないことも多い。それでも、いつも何かしらーネットであれ、社内の広告であれ、フリーパンフレットであれ、新聞であれー何かしら読んでいたんだなと、読めなくなったときに初めて気が付いた。

今は小説とかアートという自分の好きなことについてではないけれど、書く仕事を始めて、一日やっていても苦じゃないことをやるっていうのはいいことだななんて思う。なんせ一日中活字を見ていられるのだから。

するすると言葉が指先から溢れ出していく瞬間というのは、それだけでもう快感である。

活字が読めなくなったときは、好きなことを仕事にするのは怖いと思った。でもやっぱり、そこからもう一度読めるようになったことで、やっぱり可能なら好きなことを仕事にしたいと思うようになっている。

でも私は、仕事じゃなくてライフワークという言葉に変えたとき、好きなこととは別の言葉が浮かぶ。使命である。使命というと大げさに聞こえるかもしれないけれど、「他でもないこの私が生きている間にやらなければならないこと」ということである。

私が生まれる前より、一人でも多くの人を笑顔にする、でも、子どもを育てる、でも美味しいパンを誰かに食べてもらう、でも、大きいことから小さいことまで何でも当てはまる。

私の場合は途方もなく大きいことだけれど、一言(でもないけれど)で言うとすれば「個人の尊厳と多様性の尊重を少しでも上積みすること」である。

もちろんそんなこと簡単にはできないけれど、でも目線は常に遠くに置いておきたいと思う。

ところで使命とか使命感って、よく自分が過去につらい体験をしたから、少しでもそういった人を減らすために、と生まれてくることが多いように思う。貧困や教育、紛争、法律問題に携わっている人の話を聞くと。

私も最初そうかなと思っていて、どうしてこれほど多様性とか異なる他者、といったことにこだわるのか、理由を探していた。でも細かいことはあれど、人生を変えるような大きな出来事があったわけではない。

そんなとき、フランスのユダヤ系哲学者、レヴィナスに関する本を読む。内田樹氏「他者と死者」である。そこには、レヴィナスの「他でもないこの私がやらなければならない」という思いは、「負い目」から来ていると書いてあった。

レヴィナスは第二次世界大戦中、周りのユダヤ人たちに比べると捕虜として、比較的自由のある暮らしができていたらしい。でも強制収用所の過酷な環境の中で亡くなった同胞を想うと、負い目を感じた。

もちろん彼らが亡くなったのはレヴィナスではないが、それでも彼の中に存在する「負い目」。

私はこれを読んで、なぜだかとてもしっくりときた。もちろん自分とレヴィナスを比べることなんてできないけれど、負い目、うしろめたさ、みたいなものが、腑に落ちた。

私自身が壮絶な差別に遭ったわけではない。排斥されたわけでもない。でもされる可能性は十分にあったし、逆に私がそうする可能性だって、あるのだ。

自分と違う人を受け入れられなかったのは、自分でもあるんだ。私はそれをどこかで痛感したからこそ、負い目がある。そしてそれはいつしか、使命感みたいなものに変わっていった。

仕事を「好き」という軸で語ったり決めたり判断したりすることはもちろん有意義なことだと思う。でも、「他でもないこの私」がやるという使命感に似たものと、仕事を結びつけて語られることは平和が続くなかで、いつしか減ってしまったんじゃないか。

使命感は別に、インパクトのある経験や壮絶な過去から生まれてくるものだけではない。小さいできごと、覚えていないようなできごと、そして「やらなかったこと」からも生まれてくるものだと思う。

そして、むしろ負い目というとネガティブに聞こえるけれど、自分がかつてできなかったからこそ、生まれてくる思い。好きという気持ちだけじゃなくて、そういった視点からも、仕事(ライフワークの方が個人的にしっくりくる)を見ていけるといいなと思う。

それでは、また。


(goatにあげていたものを移行しました)

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