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10.03 | 創世記36 | 変化を感じる工夫と生きている実感

あっという間に10月が始まりましたね。

歳を重ねれば重ねるほど、1ヶ月も1年もあっというまで、舌の上でわたあめがとけるようなスピードで、1年がとけてゆくような感じがします。

といっても、毎日は時間がなくて焦ったりして気づいたら呼吸めっちゃ浅いな、っめ思うんですが、今年一年何したっけ、とはあまりならなくて、とは言っても今年はこれした(受験した、卒業した、就職した、転職した、結婚した、とか)、とぱっと浮かぶわけでもでもないんですが、でも手帳を見返したら、今年はこんなことあったな、とわかる気がして、それがなんか日々を消費しているわけではない、というような安心感につながっている気がします。

週末に限られるけど、いちおう、一行日記を手帳でもう2年ぐらいつけていて、それを見返したら、今年何をしたかわかるようになっている、年末に向けて一年を振り返えろうと思ったらいつでも振りかえれる、という安心感と、あとは、ちょこちょこなにかを思ったり、考えたり、自分の変化を感じたときに、考えを整理しがてら手帳にメモしているので、それを振り返ったら、このときこんな風に考えていたなとか、今はぜんぜん違うふうに考えてるな、とか、人からは見えないけど、自分自身の変化を感じるようになったりしていて、このふたつが、今年を振り返るという年末に向けてのこの時期の安心感につながっている気がします。

今年はなんか、自分自身の変化を感じる年だったんですが、でもそれは他の人から見た変化じゃなくて、自分自身が感じる、つまり内面とか思考とか好みの変化とかので、そういう変化はまわりから指摘されないので、じゃあもう自分自身で記録して変化を感じるしかないんだろうなと思うし、どんなささいな変化であっても、たとえそれが良い変化じゃなくても、変化していること、そのもの、そのものがけっこう、生きているという実感につながるんじゃないかな、と思います。

今年のはじめと、今の10月の段階で、自分がまったく変わってないなって思うと、なんかこう、1年を消費してしまったなっていう虚しい感覚にわたしはなりそうな気がするんですが、良い変化も、よいというわけではないという変化も、見過ごされそうな変化でもいいから、とにかく変化を感じられると、それを1年を過ごしたという実感につながってくるんじゃないかな、と。

そう考えるとやっぱり、メモを取ったり記録するって、変化を感じる上ではすごく重要なので、わたしは2年前から同じ、1つの手帳をいまも使い切らないのでずっと使ってるんですが、たまに見返すとやっぱり今とはぜんぜん違う気持ちとか考えとか、願いとかが書いてあるので、否応なくなく自分の変化を感じます。

日々に変化を感じないときほど(わたしの場合だと、毎日家にいて仕事して、子育てで同じお世話を繰りかえして、という感じです)、書くことがないと感じるときほど、書こうとする、記録しようとする、メモをしようとすることが大事なのかな、と、年末を目の前にしたいま、感じます。

変化も幸せも感謝もつくづく、見つけようとしないとほんとうに見つからないですね。

それでは、また。

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