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【記録用】初めてのフィルムカメラが家に届いたとき

世は監視社会。
友達と遊んでいても、その荷物のどこかには小型カメラが取り付けられている。にょきにょきとした伸縮可能なカメラが人気らしいが、その先端にある直径5㎜の黒いレンズが向いているのは私の顔。まったく品のないやつめ。更衣室でもプールでも気は抜けない。

その友達数人は自らつけているようで、指摘すれば「ごめ―――ん!」と言うものの外さない。コロナ禍のマスク着用のように、政府から取り付け要請が出ているからといって付けてしまう。強制的な力はないものの、要請という言葉と圧迫感を感じさせるプロパガンダがそうさせているのだろう。

そんなことを言っても、私がカメラを取り付けていないわけではない。先ほどのように友達に指摘したあと、友達に指摘し返された。気付かなかったがフードにカメラがひとつ付いていた。どこかで関係者に取り付けられたのか、まだほかにも気づかず持ち運んでいるものがあるんだろう。しかしもうそんなことには慣れたもの。少し違和感を持ったものの、笑いあって解散。

その後、家に帰ると3日前に頼んであった待望のフィルムカメラが家に届いていた。早いなあ!と嬉しく思いつつ早速開けてみる。

たしかにお待ちかねのフィルムカメラは入っていた。しかしそこへの喜びが頭の半分ほどに追いやられるほどの、驚きも入っていた。大量の古いコインである。フィルムカメラとコインの関係といえば、たしか電池を入れるときに蓋はコインがないと開かなかったような、、。しかしこんな何百枚とずっしり来るほどのユーロはいらない。

このフィルムカメラを譲ってくれた人は、なぜこんな古くて価値のあるものを私にくれたのだろうか。この人の周りの監視が強くなって、古いコインは回収の対象になってしまい、何とか私に譲り渡してくれたのだろうと心が痛んだ。大切に持っていようと思った。

次の日の朝、私はポンタとカメラを持ってお散歩へ。お互いに監視カメラを付けていないか身体チェックをして、さあ出かける。車通りの多く人も多い大通りは、雑多な音と視覚情報の多さに少し疲れる。でも少し先に歩道橋が見えた。

信号を渡ればしんどい階段も登らなくて済むし、現に青信号だったのだが、私はそういうポンタを無視して歩道橋の上に登った。大通りと大通りの交差点、車も人も下を歩いていて、この歩道橋にいるのは2人だけ。シンプルな歩道橋で周りにこまごまとしたものもないため、監視の目もたぶん少ない。さっきまでの曇り空も、きれいな夕焼けになってきた。

そんなビル風の強い交差点の真ん中、地上約5mの位置で、ポンタと悠々とカメラ大会を開催する。思いのままに写真を撮ったり、カメラを交換しあったり。小型カメラかフィルムカメラか、撮る媒体が変わるだけでこんなにも気分は違うものかと思った。

しばらくそうしていたが、あまりにも私のフィルムカメラをポンタが気に入ってしまい、なかなか返してくれなくなった。日が暮れてしまうとフィルムカメラで撮るのは光の関係でむずかしくなるので、日暮れまでに返してほしかった。

「はいもう終わり!かえして~また今度ね」と言うと、ポンタは「わかったーーー」と素直に手渡してくれる。



っていう夢を見て、フィルムカメラを手渡された瞬間!!!
インターホンの音で飛び起きました。

実際にフィルムカメラが届きました!!!
こんなことがあるんですね、本気でびっくりした。

最近上のような記事を書いたりと、全体主義みたいなものへの関心が高かったです。
上のハンガリー人のパスポートに1955やブタペストの大学名が書かれてあることから、ハンガリー動乱に関係してる、、?とか想像しだしたりとかして止まらなくなっていて。

その関心とフィルムカメラの待望が、どちらもちゃんと夢になって出てきました。素直だてんてん。

この夢の内容を忘れないように、我慢して開封しないまま記事を書きましたが、よし!!あけます!!カメラ!!!



※2段落目、マスク着用反対のような書き方にもしかしたら見えるかもしれませんが、毎日耳を傷めながらマスクはしています!


なんか黒歴史になりそうな予感がするのう


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