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黒い四角2

昨日からたくさんのBlack square がSNSに流れてくる。それ自体はポジティブなムーブメントだが、私の心は沈んでいる。

私は昔から、マジョリティ側がマイノリティの声に耳を傾けよう、文化を知ろう、彼らにスポットライトを当てようみたいなのに違和感がある。マジョリティ側の施しとか奢りとか自己満足としか思えないからだ。もちろんマイノリティが生きやすいような制度や社会体制は必要だけど、「敢えて」彼らを取りあげる、とかは逆にマイノリティであることを浮き彫りにしている気がする。かと言って何もせず何も学ばず自分さえ良ければそれでいいというのはあまりにも無知で無理解。

じゃあほんとにできることって何なのかって、普段から耳を傾けることではないのか。日常的に誰に対しても優しくあろうとする、話を聞こうとする態度ではないのか。1人の人間として向き合うことではないのか。自分が無自覚に人を傷つけたり、差別的行為をしたことがなかったか振り返ってみることではないのか。真っ黒の四角をSNSに上げてそれで終わりじゃなかろう。それで全ての差別の苦しみに寄り添ったつもりでいるならそれこそ怠惰以外の何ものでもなかろう。

エマ・ワトソンが今回の問題ですぐにアクションを起こさなかったと言う人がいるみたいだけど、じゃあSNSで何か言ったらそれだけで行動したと言えるのか。彼女は普段から人権問題や女性の権利について考え、声を上げてるじゃないか。セレブリティが「アクション」起こしてるからってそれに続いて投稿するだけの人より、黙って内省したり自分を教育するべく勉強してる人こそ思慮深く行動的だと私は思う。

この数日こんなことばかり考えていてとても疲れる。自分が受けてきた差別的扱いとか思い出して嫌になる。外国人であり女であることで嫌な思いをしたり酷い目にあったこともあるし、日本人を好意的に見る人によるカジュアルで無自覚な差別を受けたこともたくさんある。逆に自分を振り返ったときに、自分が加害の側になったことがないとは言い切れないし、おそらくなったこともあったろう。同じように無自覚に人を傷つけてきたかもしれないと思うと恐ろしくもある。

黒人の命は大切だと言いながら他のコミュニティにヘイトを向けてはいないか。人を人種や国籍でバイアスかけて勝手な理想を押し付けて苦しめてはいないか。「黒い四角」を投稿するだけして満足してはいないか。その投稿は一体誰のためなのか。
書き殴り散文だけど、これが今正直に思うこと。

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