エンパスが背負うもの
カウンセリングを受けたり心の探求をしてると、とにかく「他人と自分の課題を切り放そう」っていうことを学ぶ。
お父さんの課題はお父さんのもの。
お母さんの気持ちはお母さんのもの。
あなたの価値観は、あなただけのもの。
相手を変えようとしない。
自分も変わらなくていい。
「お父さんとお母さんの価値観は間違ってたんだね!」と思ってもいい。
そうやって両親や社会から植えつけられた物を削ぎ落として、純粋な100%の自分を見つけていく。そのために自分の心と向き合い続ける。
「なーんだ、私は私で良かったんじゃん!」と思える量が増えれば増えるほど、生きるのが楽になって、現実が動いていく。
そんな癒しのプロセスがある。
私も今まで何年もかけて、そのプロセスを歩いてきた。楽に生きれるようになりたい一心で、本当の自分ってどんな人なのかを見つけたかった。
でも去年の冬頃からかな。
ちょっと気持ちに変化が生まれてきたんだ。
「家族の課題も感情も、好きな人の恐れも不安も、全部私が引き受けよう」
っていう気持ちになった。
カウンセリング的にはアウトな考え方なんだけど、自然とそんな風に思うようになっていった。
そして今年の春はっきりと自覚した。
私は「受け皿」なんだと。
大切な人や好きな人から溢れ出た感情や傷、恐れや不安は、一滴ずつ水が溜まるように私という「受け皿」に落ちる。私がそれを消化すると、相手の中にもスペースが空く。
そうやって生き方が伝播する。
私が自分を見つめ続けることが、大切な人の生きやすさに繋がる。
・・・根拠も何もないけどね、理屈じゃなくそう腹落ちしたんだ。
私が今までカウンセリングを受け続けてきたのは、私と深いレベルで繋がっている大切な人たち、何人分もの感情と恐れを背負ってのことだったんだって。
「家族の課題も感情も、好きな人の恐れも不安も、全部私が引き受けよう」って決めてから、ものすごーく現実が動いている。
現実が動くということは、それが正しいことというか、お空から後押しされてるということなんだよね。
人の感情を吸い取りやすいエンパスの人は生きててすっごく苦しかったと思うけれど、そうやって感情を見つめることに辿り着いたのだとしたら、それは1つのお役割を背負ってのことなのだと思う。
エンパスの感情を解放することは、
繋がっている人の感情も一緒に解放すること。
自分の感情に向き合っているだけで、
究極には他の人を楽にしている。
それってすごいことだよね。
だから他人と自分を切り離すフェーズを終えたら、エンパスは「引き受ける」というフェーズに戻ってくる。
それがエンパスの通り道なんじゃないかと、最近思います。
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