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如水(起業編)其の六・・・ビッグなお土産

如水(起業編)は、起業20周年の2010年11月9日に発刊した小冊子(非売品)です。現在、5巻まで発刊していますが、今回、「note」に掲載することで、起業を目指す若い方々や、会社管理職で頑張っている方々に、少しでもヒントになればと思い、恥を偲んで掲載することにしました。山あり谷あり、紆余曲折の人生を、ご覧頂ければ幸甚です。


◇ビッグなお土産◇

 最初からNHK衛星放送の大物発注を受け、心臓バクバクの状態が続いたが・・・それから暫くして大阪の関西テレビに足を運ぶ事にした。ドアをノックして(ドアは開いたままだったが)、関西テレビの制作2部の部屋に入った。そこに待っていた人物(私の仕事人としての人生が変わる事になる)・・・立っていたのは、今は亡き苧木晃(おぎあきら)プロデューサーだった。上沼恵美子さんのご主人である上沼真平氏も苧木氏の上司として窓際に座っていた。

 苧木晃氏は開口一番、「熊本からですか?お疲れさまです。まあ、一度熊本に足を運びますわ。来月初旬に出張予定組みますんで、御社のCG制作環境を見せてくれまっか?・・・CGは関テレのバラエティでもまだ使ったこと無いし、一度見てみんと分からへんし!」と。

 それから苧木プロデューサーが、局内を案内すると言って、梁プロデューサーや木村プロデューサー、そしてエグゼクティブプロデューサーである上沼真平氏をはじめ次から次へと、若手も含めて十数人ほど紹介してくれた。結局、今回は空振りかと思いつつ、私の重い足は既に熊本へ向かっていた。

 翌月になり苧木プロデューサーから電話が入った。「明後日熊本行きますんで、オフィスに案内してくれまっか?」と。・・・熊本空港まで迎えに行く事にした。車中での会話は予想外に前向きだった。私のオフィスに到着するや否や、「ばらいろ海綿体」という深夜バラエティ番組のタイトルCGを発注すると言う。

 「道頓堀の上をスライムがプニョプニョ飛んで、更に橋の下をくぐり、それから大阪城をすり抜けて、通天閣を昇り、エンディングは青空の中央にばらいろ海綿体って感じで創れます?」と。これまたフルCGだ。私は「やりますが、大阪の取材を入念に行って、その写真をスキャンしてマッピングしなければ・・・。」と心配げに返事をした事を思い出す。

 それから数日後、大阪に飛んだ。関テレへ行くと、苧木プロデューサーが玄関で待っていた。「あっ、関テレのハイヤーを準備してますんで、それ使って大阪見物方々取材して下さいな!」と。

 そんなこんなで関テレから次から次に番組タイトルCGの大量発注が開始された。3週間後、「ばらいろ海綿体」を直接人間宅配便で納品に行けば、帰り際に「土曜大好き!」の仕事を受け、数週間後に再び納品して帰ろうとすると、又仕事が入るといった具合だ。「米朝師匠(人間国宝)特番」、「上方漫才大賞」、「桂三枝の愛ラブ!爆笑クリニック」、「痛快!エブリデイ」、「上沼恵美子の快傑!えみちゃんねる」、「ハイヒールモモコの出産日記」、「関西テレビ35周年記念番組(17時間放送)」「2時!ドキッ」などなど、10年間で100本を超える番組タイトルCGを受注した事になる。その間、東海テレビ、テレビ新広島、テレビ愛媛なども含めて、西日本のフジ系テレビ局合同番組なども数多く手掛けて行った。

 以上のように、苧木晃氏とはいつの間にかビジネスライクな関係を通り越して、心友の間柄になった。大阪に足を運べば北新地を二人してヨタヨタ夜のクラブ活動で歩き回り、彼が病で倒れた時なども上沼真平氏がマムシを食べに連れて行ってくれたりと、関テレビにはすこぶる可愛がってもらった。しかし、筆者の心友となった苧木晃氏が、47歳という若さで、2002年5月25日に急死してしまったのだ。・・・私にとっては、実母を亡くした以上に辛い出来事であった。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/苧木晃

苧木晃氏を偲ぶ会(大阪にて)
自らも番組に出演するなどユニークなプロデューサーだった苧木晃氏

◇その他のCG制作◇

 CGアニメーションやシミュレーション制作のメインは、前述の通りNHK衛星放送や関西テレビだが、その他NHKでは山形県、宮崎県、そして福岡県の九州朝日放送(ドォーモほか)、テレビ熊本イメージ動画、更には福岡県、熊本県、愛媛県の企業や自治体コマーシャル等を数多く手掛けて行った。


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