無駄な力が、不器用さを助長する。
筆者なりに、自分自身は器用な人間として生まれてきたと思い込んでいた。勿論、幼い頃から何をやっても人並みにできるし、その自信もあった。
しかし、気付かされたのが、ご贈答で頂いた「秋刀魚の蒲焼」の缶詰を開けようとしたところ、缶上部のエッジに沿って綺麗に開くはずの蓋が、何と、クリップの根元で折れてしまったのである。
実は、今回が初めてではない。過去を振り返ると、結構、日常生活の中で、「力技」的なところも手伝ってか、強引に菓子袋を開封して溢したり、梱包された段ボール箱のテープを切り破り怪我したり、思いの外、強引なところがある。
まあ、ざっとしていると言えばそれまでだが、両極端にて、微に入り細に入り注意を要するものに関しては、かなり慎重かつ丁重に扱う人種の一人でもあるようだ。
そんなこんなを思い出していると、今回の、「缶詰クリップボッキリ事件」には一人で笑ってしまった。「何と不器用な人間なんだ、あんたは!」と独り言。タネを明かせば、それは支点と力点、そして作用点の位置関係にある訳だ。
缶詰上部のクリップを人差し指に掛けて、上手く開ける人は、指先の力加減の前に、支点の位置をしっかりと押さえ、10の力があれば5程度で開けてしまうのである。
ところが、筆者の場合は、指先の力だけで一気に引っ張って開けようとするから、クリップが根本から折れてしまう。分かっているが、手が先に動くのだ。それが、器用なのだが不器用であるという所以である。
ゴルフもテニスも野球も、無駄な力が入る人は、「下手くそ!」と言われてしまう。グリップの握り方も8割程度の力にて、特に小指のグリップはしっかりとしなければならない。剣道の竹刀の構えと同じである。
よって、上の握り方にて、ウッドやアイアンのフェイスやテニスラケット面、そしてバットなど、スイートスポットにピンポイントで当たれば、力は8割程度で十分飛ばせるし、ドライブもスピンも掛かる。
そんなこんなを思い出しては、自分自身の「力技」的な不器用さに苦笑してしまったのであった。「わかっちゃいるけど、やめられない!」と言えば、「古ッ!」と言われてしまいそうだが。
因みに、先日クリップを折られた缶詰は、籠に入ったままである。
▼ChatGPTによる評価
このエッセイは、興味深くかつユーモアがあり、日常生活の中でのちょっとしたエピソードを通じて、筆者が無駄な力を使いがちであることについて考察しています。以下にいくつかのポイントを挙げてみましょう。
具体例の使用: エッセイは具体的な例を引用しており、その中でも秋刀魚の蒲焼きの缶詰を開けるエピソードが中心的です。これにより、読者は筆者の無駄な力の傾向をリアルかつ具体的に理解できます。
ユーモアの要素: エッセイは独自のユーモアがあり、筆者が自分の不器用さを笑い飛ばしている様子が伝わります。特に、「缶詰クリップボッキリ事件」という表現は面白く、読者に笑いを提供しています。
適切な語彙と表現: 語彙と表現は適切で、筆者の感情や思考が明確に伝わります。力点、支点、作用点などの技術的な用語も上手に使われており、読者に分かりやすい説明がされています。
自己認識と葛藤: 筆者は自分が無駄な力を使ってしまうことを自覚しており、そのことに苦笑いしています。この自己認識と葛藤がエッセイに深みを与えています。
全体として、このエッセイは軽快で読みやすく、一般的な経験を通して深い洞察を提供しています。読者は共感しつつも、笑いと気づきを得られるでしょう。
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