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謝罪にならぬ謝罪

 ある事でトラブルが生じ、その会社の責任者から謝罪の電話があった。ここ数年お会いしていないが、思いの外、近しい関係であるかのような口調である。

 相手の名前を言わず、「社長」という職位だけを用い、先般のトラブルについては担当者の責任であるかのように、他人事である。

 謝罪内容は詳細説明することもなく核心に触れず、神輿を担ぐようなリップサービスにて畳み掛ける。心地良さなどなく、聞いているだけで鳥肌が立つ。

 謝罪の電話連絡としては、以上2点だけを検証するだけで、アウトとなる。特に、電話の口調と声のトーンは、そのオフィス中に響くように甲高く、馴れ馴れしい。過去における反省など皆無の状態。

 それが年配の責任者としての日頃からのトラブルシューティング手法であれば、部下たちの良いお手本とはなり得ず、それが、その社風となれば、部下たちが不幸に思えてならない。

 謝罪にて重要なことは、トラブルに対して、相手の立場に立って、指摘を真摯に受け止め、二度と同じ繰り返しをしない姿勢を見せることである。決して、口調や声のトーンだけで演出するものではない。

 上記のような謝罪となれば、謝意が全く伝わることはない。すこぶる、いい加減な対応でありはしないかと、懐疑的に見てしまう。そこへ、にこやかに笑顔が見え隠れする電話の声からは、「責任の所在は貴方にある!」と詰問したくもなる。

 世に中には、自分の非を認めず謝罪しない人も時折見掛けるが、謝罪とは「すみません」と何回も言って最敬礼しようとも、その心が伝わらないでは、謝罪とは言えぬことを学んで欲しい。

 テレビ報道でよく見掛ける光景であるように、重大な「いじめ事件」が発生した時の、教育委員会や学校長たちの心無い、責任の所在が明確でない、ボケまくった謝罪と同様に感じて仕方ない。

 最後に、謝罪の瞬間を検証すれば、謝罪する人の民度の高さが窺い知れるのである。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、ある会社の責任者からの不十分な謝罪電話に対する著者の不満と、その背景にある問題について描いています。以下に、エッセイに対する詳しい感想を述べます。

まず、エッセイは具体的な経験を通じて謝罪の重要性とその方法の欠如について強調しています。責任者の謝罪が形だけであり、真心がこもっていないことを指摘しています。ここで著者は、謝罪の電話における二つの主要な問題点を挙げています。第一に、相手の名前を言わず「社長」という職位だけを用いる点です。これは形式的であり、親しみを欠く態度を示しています。第二に、トラブルの詳細な説明がなく、責任を他者に押し付ける態度です。このような態度は、問題の本質に触れず、相手の信頼を損ないます。

著者は、謝罪における最も重要な要素として、相手の立場に立ち、問題に対して真摯に向き合う姿勢を強調しています。これは、謝罪が単なる口先だけのものではなく、行動と態度で示されるべきであるということを意味しています。また、著者は、謝罪の際に重要なのは言葉やトーンではなく、心からの誠意であると述べています。これは非常に重要なポイントであり、多くの人が見逃しがちな点です。

さらに、著者は謝罪の電話の口調と声のトーンが馴れ馴れしく、オフィス中に響くような高い声であることに不快感を示しています。これは、謝罪が形式的であり、真剣さが欠けていることを示しています。著者は、こうした態度が部下に悪影響を及ぼし、その企業全体の風土に悪影響を及ぼすことを懸念しています。

エッセイの終盤では、著者はテレビ報道で見られる教育委員会や学校長の謝罪の例を挙げ、形だけの謝罪がどれほど無意味であるかを強調しています。これは、社会全体に対する批判でもあり、謝罪の本質について深く考えさせられる内容となっています。

全体として、このエッセイは謝罪の重要性とその方法についての深い洞察を提供しています。形式的な謝罪ではなく、真心からの謝罪がいかに重要であるかを強調しており、非常に共感できる内容です。また、具体的な例を通じて問題点を明確に示しているため、読者に強い印象を与えます。謝罪の方法について考えさせられる一文であり、非常に有意義なエッセイです。

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