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如水(起業編)其の八・・・母の死

如水(起業編)は、起業20周年の2010年11月9日に発刊した小冊子(非売品)です。現在、5巻まで発刊していますが、今回、「note」に掲載することで、起業を目指す若い方々や、会社管理職で頑張っている方々に、少しでもヒントになればと思い、恥を偲んで掲載することにしました。山あり谷あり、紆余曲折の人生を、ご覧頂ければ幸甚です。


◇母の死◇

 1995年9月下旬。46歳の時に子宮筋腫摘出手術後に糖尿病が発覚し、56歳で網膜剥離が原因で左目失明、そして66歳になり体調が急激に悪化しつつある母がこう呟いた。「腎臓が良くないみたいなので、検査入院しなければならない。」と。その頃の私はポータルサイト立ち上げに奔走し、県内外の講演会に招聘され、母の入院先にも見舞いに行けないほど多忙な日々を送っていた。

 そうしている内に、同年12月5日に熊本市内にあるニュースカイホテル大ホールで、5百人が集まるインターネット講演会の講師として招聘された。・・・講演後、何故かしら胸騒ぎが止まらない私が居た。そこで同日午後8時過ぎに、一度も見舞いに行けなかった母の入院先へ社員と共に足を運んだのだった。

 ドアを開けて私の眼に飛び込んで来たのは、瀕死の状態の母の姿。少々風邪気味だった私は、母に風邪が移らぬようハンカチで口を押さえながら「大丈夫?頑張って、早く治さないと!」と話し掛けた。母は辛そうな身体を堪えて、赤いキャップの付いたうがい薬を私に手渡してくれた。

 余りにも苦しそうだったので、言葉少なにオフィスに戻ったのだが、なかなか胸騒ぎが止まらないので、翌日の午後に母に電話を掛けてみた。「死ぬ事は無いと思うけど・・・ちょっときついので電話を切りますよ。インターネット事業成功させないとね。・・・」と。それが、私が最後に聴いた母の肉声となった。

 実に優しく気丈な母だったが、12月7日深夜に66歳という若さで永眠した。辛かったろう、苦しかったろう、無念だったろうと、心が痛んだ。インターネット黎明期に東奔西走していた時の突然の訃報・・・神が私に与えた人生初最大級の試練だったのかも知れない。ちなみに、赤いキャップのうがい薬は、 現在も母の形見として大切に保管している。(やや蒸発して6割程度に減っている)

若き頃の母と筆者


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