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『信義誠実の原則』を軽視する傾向にある現代の社会人。・・・低民度を露わにする愚行。

 前職である新聞社に入社した時に、善き先輩より唐突にサジェストされたことがあった。「契約書を独りで書けるようになって、一人前だからね。頑張って!期待してます!」と言われた。

 その時は、「なるほど!」程度の頷きであったが、その言葉を忘れることはなく、初年度に企画書、覚書、契約書、予算書など、過去の書類を10年分読み漁り、すべて独りで書けるようになった。

 それは起業時に、とても役立ったというか、その先輩の言葉に対して、今も尚、感謝の心を忘れたことはなく、日々、頭の中をぐるぐる回っている。

 ところが、この1年ほどを振り返ると、とんでもない一方的な『価値観』を強制する邪道なる『契約書』を目の当たりにして、その企業の『協調性』のなさに腰を抜かしたことがあった。よって、今年の3月末にて、さっさとその『契約書』を解除した。

 『基本契約書』と言いながらも、全て、その企業最優先の内容にて、読むだけでも馬鹿らしくなったと言うのが本音である。『共存共栄』なんぞ有りはしない、工事下請けのような文言が目立つ、劣悪なものだった。

 先日の記事で扱った、『聞きもしないのに、要らぬ一言で、人柄が見え隠れする!!!』で触れた経営者の話である。

 その企業は、兎に角、自社の為の『防護壁』ばかりを並び立てた『個別契約書』を差し出すばかりで、自社の責任や義務を明記していない。或る日、その企業の過去について調べると、『個人情報漏洩』の大事件を起こしており、それがきっかけで、上記のような『防護壁』ばかりの文言に変わったのではないかと、結論づけた。

 兎に角、挙動も文書も、軽々にて粗雑である。微に入り細に入り突っ込むと、納得の行く回答が得られない。顧問弁護士はいるようだが、その経営者の頭の中は、『契約書』を締結する相手との『共存共栄』なんぞ皆無であることがよく理解できた。

 『契約書』であれ、『覚書』、『合意書』であれ、根底にあるものは『信義則=信義誠実の原則』である。それが頭にないから、自社最優先の条文を並び立てているに違いない。挙句の果てには、『著作権』もすべて吸い取るが如くの勢いである。これは話にならず、『誠意』などあるはずがない。

 例えば、5ヶ月間の『契約』にて、土日を除き約125日間、毎日業務を遂行して、1日あたり四千円程度の予算で業務委託しようと言うである。実に馬鹿げている。コンビニのアルバイトの半額程度の予算で、対会社への予算組みというのだから呆れてしまう。起業して32年が経つが、過去最悪最低の『契約書』であった。

 それを『非礼なる業務委託』と思っていないところが最低だ。仮に、筆者が他社へ業務委託をするとなれば、先ずは、ネットなどで『相場』なり『適正化価格』を調査した上で、『ご相談』をする。そこで承諾を得て、『基本契約書』及び個々の『契約書』を作成し、相手が気持ちよく業務遂行できる道筋を作るはずだ。それが、常識ではないか。

 世間知らずなのか、当地を見下しているのか分からないが、ビジネスには『信義則』は必要不可欠なるものだ。それを度外視して、自らの利益追求ばかりに走っていると、必ず、先々トラブルが生じるに違いない。以前、諄いほど説明したけれども、今でもその経営者はあっけらかんとしている。言葉巧みに「勉強になりました」と言うものの、熱い心が伝わってこないままである。

 また、ここ数ヶ月前のことだが、県内外で数人のビジネスマンと『覚書』を交わすことになった。しかし、一部の人間は、その『覚書』にある『信義則』を理解していないのか、元々知らないのか、日々の挙動を見ていると、残念ながら『誠意』を感じるものとは言い難い。

 標題の通り、『信義誠実の原則を軽視する傾向にある現代の社会人』が、そっくりそのまま当てはまる一例となっている。『有言不実行』の最たるものであり、閉口するしかない。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。