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『配慮』ができない人。・・・自分のことしか目に入らない人の恥ずかしさ。

 『配慮』、『気配り』、『心遣い』などが、一切できない人がいる。その挙動を見ていると、『視野狭窄』にて、自分の周りのことには全く無関心。手前のことにのみに気を取られ、視線が近場に偏っている。

 例えば、新興住宅地に足を踏み入れると、公道両脇には自宅屋根付き駐車場やトンネル式駐車場などある。或る家を訪問している人が、その玄関先で長時間立ち話をしているが、車はエンジンを掛けっぱなし。隣や道向かいの家の駐車場を遮断する格好で駐車している。

 ちょっとした事だが、隣近所の人が買い物に出掛けようとしてエンジンを掛けても、目の前に違法駐車されていては、右へも左へも公道に出られない。ちょっとした『迷惑シミュレーション』さえできないのである。

 そこで、駐車位置(駐車可能な場合)が、隣人の迷惑になりはしないか否かの『チェック』と『配慮』は必要だ。よって、『配慮』のない人は、日常生活においても、他所でも同じパターンの繰り返しをしているに違いない。

 『他人への迷惑を考えない』。これは、現代社会のトレンドの一つ。コンビニ玄関前に座り込むおバカもいる。ガソリンスタンドで給油中に咥えタバコのボンクラもいる。煽りながら無理な追い越しをして、壁に激突大破する阿呆もいる。全てに『配慮』どころか、『自分一番主義』で協調性に欠ける人間の『蛮行』としか言いようがない。

 社会に適合しない人の類に入る訳だが、一人の人間として『恥ずかしさの境界線』を逸脱していることへの自覚はない。従って、人に迷惑を掛けることも、人を傷つけることも、『蛮行』とは思っていないのだから、始末に悪い。裁判となっても黙秘を続け、猛省もなく、犠牲者への謝罪もない人間。人に非ずである。

 例を挙げればキリがないが、最後に、百貨店の衣料品大売り出しで、商品を互いに引っ張り合いしていた人たちの姿をテレビで見たことがある。とても『悍ましい光景』に腰を抜かしてしまった。商品が裂けたり延びたりする可能性もあり、自らの『醜態』をニュースで見て、赤恥をかけば良い。いや、もしかすると、「あそこで、私が勝ったのよ!ほら、このニット!」と笑顔で勝利宣言する可能性も無きにしも非ず。

 以上のように、『配慮』のない人たちは、結論としては、『自分一番主義』を掲げ、自分が思っていることをすることは自由だから、何も問題はないと考えている。何度も記事に登場する『民度の低さ』。情けない人が多いこと、多いこと。

熊本県玉名郡玉東町の蜜柑畑

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