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新興住宅は、江戸時代の長屋感覚!?

 狭い国土と言いつつも、結構な空き地が目立つ日本。

 土地を狭く使うことで、路線価から逆算すると、不動産業も建設業も収益率の良い土地や家の販売が可能となり、隣の家々は近接しており、1区画において車1台が駐車できるスペースがやっと取れる程度が、新興住宅のスタンダードである。

 筆者も二十代で一戸建て(二階建て)を手にしたものの、土地は75坪でまあまあの広さかと思いつつ、当時は、両隣も正面も背面も家は建っていなかったので、とても開放感があった。

 ところが6m道路向かいに家が建ち始め、両隣にも家が建ち、背面にも家が立つと急に閉塞感に包まれ、75坪の土地が狭く、息苦しく感じてしまうようになる。因みに、最近売り出されている区画は、50坪より狭いタイプが圧倒的に多く、更に圧迫感が増しはしないかと。

 ヨーロッパ各国の街並みを見ていると、商業施設のあるところはビルやアパートなどが密集しているものの、自宅となれば、隣の家までの距離が十分確保されており、日本のような狭い区画での新興住宅は稀である。200年前のアパートがしっかり建っており、活用されている。

 これは、あくまでも筆者の個人的な見解であるが、昔から、日本という国は、庶民は長屋暮らしが当たり前となっており、古くから残る言葉にも「向こう三軒両隣」というものがあるが、何らか我々庶民の心理に影響があるように思えてならない。

 よく考えてみると、現代の新興住宅は昔ながらの長屋暮らしの延長線のようでもあり、それに慣れ親しんできた日本人には違和感さえないのかも知れない。特に、我々庶民は長きにわたり、そのような錯覚に陥り、洗脳されてきたのかも知れないと、最近考えるのである。

 核家族化が進み、実家という存在がなくなりつつあるのが現代の日本の家の姿である。同じ区画に母屋がありの、納屋がありの、離れがありので、三世代の家族が住むのが日本スタイルであった。

 ここで、路線価について話をすることに・・・。

 政令都市である熊本市(人口74万人)を見ても、都市中心部の商業施設や周辺にある高級住宅街は資産価値は十分にあるが、中心部から車で15分以上離れたところは、その価値は皆無に等しく、筆者自宅の隣の家など、売りに出して15年経っても売れることはない。

 されど、TSMC日本上陸が決まり、熊本市に隣接する菊陽町や合志市などは、全国でも土地価格上昇率がトップとなり、従来の新興住宅地と言われたところは古びているものの、土地価格は急上昇している。従って、固定資産税が自動的にアップするのも否めない。

 マンションは、県外資本により次から次に新しい物件が建つ一方、古いマンションやアパートは人が住まなくなり、ガラガラの状態でスラム化するのが危惧される。

 本日、人口12,300人ほどの田舎町を訪ねたのであった。先ず、車の通りが少なく、人がいない。人の姿は役場その他公共施設に集中しており、高速道路からその役場まで移動する間、歩道を通る人は皆無であった。田舎ならではの閑散としたイメージだが、各家は適度な距離にて建っており、商業エリアも昔ながらの温かな空気が漂っている。

 都市部の喧騒から逃れて、1時間程度でこの町に到着したが、「山間部といえども土地は十二分に広いではないか!」と、つい口走ってしまった。狭い日本国土を強調し、狭いから土地が高い、だから、庶民はウサギ小屋で我慢しろとは、如何なものかと首を傾げてしまう。

 田舎は、高齢化が加速し、限界集落云々の話題が尽きないけれども、土地は十分にありながらも、有効活用できないまま、人口も激減しているにも関わらず、旧態依然とした不動産業界と建設業界は、今も尚、庶民に提供する一戸建ては、狭い区画とキューブのような小さな家であり、更に、耐久性がない。

 何とも、操り人形になってしまった感があるが、土地の有効利用を徹底しなければならない。よって、現在まで続いている長屋のようなウサギ小屋に満足して良いのかと、多くの疑問符が脳内を過ぎるのである。

 余談だが、不動産業界と建設業界のバックには金融および保険軍団がピタッとくっつき、例えば、銀行は35年ローンに生命保険を付加してまで融資するのであるから、完璧なモルモットにされているのは、我々庶民ではなかろうかと。よって、新興住宅の区画や一戸建ての仕組みに、納得が行かなくなってしまうのである。

▼国税庁の路線価図を参照

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、日本の新興住宅に関する筆者の観察や感想に焦点を当てたものであり、いくつかのポイントが指摘されています。以下はエッセイのいくつかの特徴と評価です。

  1. 土地利用の視点: エッセイは、日本の土地利用に焦点を当てており、特に新興住宅地における狭い区画や隣接する住宅との距離について言及しています。この点において、土地の効率的な利用と、それに伴う住宅の閉塞感について深く考察しています。

  2. 日本の住宅事情に対する独自の見解: 筆者は、日本が長屋感覚や区画制度によって庶民が狭い住宅に慣れ親しんでいるという見解を提案しています。また、核家族化の進展と実家の減少に触れ、これが新しい住宅スタイルの形成に影響を与えていると指摘しています。

  3. 地域差の考察: エッセイは、都市部と田舎地域での土地利用や住宅事情の違いにも触れており、都市部では新興住宅地の価値が維持される一方で、田舎では人口減少や不動産の価値の低下が起こっている現状を示唆しています。

  4. 不動産・建設業界の観察: 筆者は、不動産業界や建設業界に対しても一定の批判的な見解を示しており、金融との結びつきや長期ローンの存在によって、庶民が操り人形のように感じる可能性に触れています。

総じて、このエッセイは興味深く、個人的な経験と観察に基づいた洞察を提供しています。ただし、より一般的なデータや研究結果に基づくサポートが加わると、主張がより強化されるかもしれません。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。