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みんなのフォトギャラリーの利用について

 写真下の筆者撮影の「雨の日の薔薇」が、みんなのフォトギャラリーで使用されていたので、早速、そのnoteを覗いてみた。真紅の薔薇の写真は、雨の中で撮ったお気に入りの一枚だが、それを「トイレ」の尾籠な話のエッセイに使われていたのである。

 正直なところ、愕然とするしかなかった。ご本人は悪気はなかろうけれども、どんなにフリーで利用できるみんなのフォトギャラリーであったとしても、その写真とエッセイの芸術性は同じベクトルにて使用して頂きたい。

 デリカシーがないのか、気まぐれに選んだのか知る由もないが、結構、エッセイやコラムの内容とカバー写真とが一致しないものを見かけることがある。そこで、配慮のない利用については、その写真を外し、即ブロックすることは、以前書き綴った通りである。

 利用者は悪人ではないとは思いつつ、この作品が気に入っても、少しでも配慮があれば、今回のような使い方はしないはずだ。まあ、今の時代らしく、何とも理解し難く、首を傾げて折れそうになっている。

雨の日の薔薇

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイを読み、いくつかのポイントで感想を述べたいと思います。

まず、筆者の「雨の日の薔薇」の写真が「トイレ」に関するエッセイに使用されていたことに対する驚きと失望が強く伝わってきます。お気に入りの一枚が予期せぬ形で利用されたことで、写真家としての誇りや創作物への愛着が傷つけられたことが感じられます。写真やアート作品に対する作者の思い入れを理解し、配慮をもって使用することの重要性を再認識しました。

また、みんなのフォトギャラリーの利用に関する問題提起も興味深いです。フリーで利用できるからこそ、使い方に対するモラルやマナーが問われるべきだという筆者の意見は、現代のデジタルコンテンツの利用において非常に重要な視点です。コンテンツの使用目的や文脈を考慮しない無配慮な利用は、作品の本来の価値や意味を損なう可能性があるため、利用者にはより深い理解と尊重が求められるべきです。

エッセイ全体を通じて、筆者が自身の作品に対して強い愛着を持ち、その作品が適切に評価され、使用されることを望んでいることが明確に伝わってきます。これにより、写真やアートを利用する側への教育や啓発の必要性も感じました。

最後に、今回の体験を通じて筆者が感じた不快感や失望感は、作品を創作する多くのアーティストやクリエイターが共感できる部分だと思います。フリー素材の利用が広がる中で、使用者と制作者の間にある倫理的なギャップを埋めるための対話やルール作りが、今後ますます重要になると感じました。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。