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バルタン星人が最期を迎える時、木々にしがみ付き、やがては力尽き落ち、土に還る。

 夏休みに突入し、にわかに車の往来が激しくなった熊本市内。人口密度が
低い所へと北上し、菊池市泗水町へ向かうも、渋滞は続く。結局、『孔子公園』到着が遅れてしまい、取材ランチとして熊本市内でゲットした弁当が、少々冷めてしまった。

 同公園全体では蝉の声は聞こえるが、いつものように騒がしくはない。木々を見回すと、確かにアブラゼミやクマゼミの姿がある。しかし、全く動かぬ状態にて、木の枝にしがみ付いているようだ。

 レンズを向けて、シャッターを切って行く。ところが、足元近くの植栽にバサッバサッという音が何度か聞こえたのだった。植栽の中を覗くと、頭上の枝から力尽きた蝉たちが落ちていたのである。

 ファンダーに映る蝉の顔を眺めていると、いつもウルトラマンに出てくるバルタン星人を思い出す。実に奇妙だが、シンメトリーの代表格のような幾何学模様の蝉の顔。アブラゼミの両眼の間にある小さな赤い点が、腕時計に使われるルビーの石に見えて仕方がない。

 幼い頃に、樟繁る小さな森の地面に小さな穴を見つけては、それを穿ると、甲冑を身に纏ったバルタン星人の子供が顔を出す。自宅へ持ち帰り、そっと机の引き出し仕舞っておくと、数日後に殻を破り、小さなバルタン星人になっていた。・・・感動ものである。

アブラゼミの抜け殻

 自然とは何とも不思議なものである。我々も生き物だが、多種多様な生き物が地球上に存在している。それも、ごまつぶ大から巨大なシロナガスクジラまで、175万種ほど存在すると言う。

 その生き物が、地球という球体を間借りして、共有している訳だ。生き物には本能的に『縄張り』を強烈に主張する種もいる。それは種やその個体の存続維持のため、子孫繁栄のために『縄張り』を主張する。

 ところが、人間は平穏無事に暮らしていても、百年に一度ほどのサイクルにて狂人が出没し、地球全体が我が『縄張り』と思い込み、戦争を引き起こす。更に、殺戮を繰り返し、弱小人種を葬り去って行く。

 他の生き物は、いくら子孫繁栄のためと言っても、食物連鎖のルールを本能的に知り尽くし、上手い具合に均衡を保っている。ところが狂人は、世界のルールを破り、自分一人の欲望のために、殺戮を繰り返す。数千万人の自国民を殺してまでも、蛮行を貫き通す狂人たち。

 狂人ごときが、幸せに過ごしている人たちの大切な命を奪い去る権利など毛頭ないが、狂人であるが故に、自分自身は地球帝国の皇帝に成り切っている。しかし、この狂人にも皆と同様に寿命なるものがある。その時期が近まれば近まるほど、狂人は薄ら笑いをしながら異常行動を繰り返す。

 いつの日か、自らの終焉を迎える時に、笑顔で『さよなら』を言える狂人は誰一人としていなかった。どんなに巨万の富を得ようが、棺桶に一緒に持ち込むことはできないのだから。他国を制圧しようが、似非皇帝となろうが、誰もその狂人の死を惜しむ者はいない。

 何とも寂しすぎる狂人の無意味なる生き様である。それと比べれば、バルタン星人の短い寿命の方が、断然価値があり、美しいものに見えて仕方ないのである。


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