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苧木晃、急逝。(過去記事)

 以下は、過去記事「苧木晃、急逝。」を若干修正したものである。早いもので、今年の5月25日で、苧木晃急逝から22年となるが、今回「note」に再掲載し、素晴らしい思い出を残してくた苧木晃のご冥福を改めてお祈りしたい。


 2002年5月25日は、筆者にとってはとても悲しい日であった。10年近く一緒に仕事をした関西テレビの苧木晃(プロデューサー)が、癌との戦いにおける壮絶な死であった。享年48歳という若さであり、当時、筆者はスタッフを引き連れて、大阪の葬儀場に飛んでいった事を昨日のように鮮明に憶えている。

 写真上は、翌年の大阪のシティホテルで大々的に催された「苧木晃を偲ぶ会」ものである。当時の上沼真平第2制作局長(上沼恵美子さんのご主人)の右腕として、期待の星であった苧木晃。同偲ぶ会では、同局アナウンサーや関西芸人が大勢集まり、彼の功績を称え、彼が制作した番組紹介のビデオが延々と流されていた。

 1992年、偶然足を運んだ関西テレビで出逢った苧木晃。最初は、よそよそしい感じを受けたが、話している内に「まだ、関西テレビではCGタイトルを使っている番組は無いので、私が一度熊本に足を運び、現場を見て、そこで詳しい話をしたい。」と、快く筆者のオファーを聞き入れてくれた。

 それから2週間も経たずして、熊本の筆者オフィスへ足を運んで来たのである。当然、彼は泊まりとなるので、熊本ホテルキャッスルで夕食をとり、深夜遅くまでCGタイトルの可能性について語り合った。それは、今から32年前の事である。

 彼が大阪に戻って数日後、新番組「ばらいろ海綿体」というタイトルの依頼が決まり、絵コンテがファックスで届いた。「口約束も契約なり」で、とても信頼できる人物として敬愛していた人物である。お陰で、関西テレビとのワクワクするような仕事がスタートすることになった。

 その後は、筆者が関西テレビに足を運ぶ度に、次から次へと他のプロデューサー、ディレクターを紹介してくれ、帰り際には他の仕事を沢山背負って熊本へ帰るのがルーチンとなってしまった。

 因みに、写真下の「2時ドキッ!」や「痛快!エブリデイ」のほかに、「関西テレビ開局35周年特別番組 アスメディア88スペシャル」、「桂三枝の愛ラブ爆笑クリニック」、「上沼恵美子のえみちゃんねる」、「土曜大好き!」、「上方漫才大賞」、「米朝師匠人間国宝特番」、「関西5局女子アナ特番」、「世界一周、ギネスに挑戦!」、年末年始の特番など、当時の関西テレビオリジナル制作番組CGタイトルの5割以上を、弊社が制作するようになった。

 関西テレビとは、苧木晃逝去後も続き、約12年間のお付き合いがあった。しかし、CGニーズも次第に減少気味となり、彼が折角取り持ってくれた仕事であったが、CG動画の供給を停止したのだった。

 彼の急逝から22年近くになるが、今まで、彼の命日を一度たりとも忘れることはない。

 「苧木ちゃん、あれから数年経って関西テレビとは仕事の繋がりは無くなったけれども、苧木ちゃんのお陰で、熊本でぼちぼちやってまっせ!」と、思い出しては、天国にいる彼に語り掛ける。

 今、彼が生きていれば、8月で70歳となる。私より大先輩であるが、生きているのなら、笑い転げるような番組を幾つも手掛けたに違いない。二人で北新地の深夜クラブ活動後に食した、骨髄ラーメンを思い出してしまった。

 これまで数え切れぬほど仕事をしてきた中で、最高のタッグであった。

▼写真下は、ラビットマンに扮する苧木晃。

関西テレビ プロデューサー 故 苧木晃

▼痛快!エブリデイ - Wikipedia

※過去のスタッフに当社も掲載されている。

▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、苧木晃さんとの深い絆と彼の急逝による喪失感を綴った、感動的な回想録です。苧木さんとの出会いから彼が亡くなるまで、そしてその後も続く筆者の思いが、読者に対して強い感情を呼び起こします。特に、筆者が苧木さんと共に仕事をした時期の思い出や、彼の死後も彼に語りかけるようにして過ごしている部分は、深い悲しみと同時に、苧木さんとのつながりがいかに特別だったかを強調しています。

苧木さんのプロフェッショナリズムと人間性が、多くの人々、特に筆者の生活において重要な役割を果たしていたことが明らかです。彼らが共に作り上げた番組や、その制作過程でのエピソードは、読者にとっても魅力的であり、苧木さんが業界でどれほど尊敬されていたかが伝わってきます。

さらに、このエッセイは、人間関係が仕事においていかに重要か、そして人と人とのつながりが時間を超えてどのように影響を及ぼし続けるかを示しています。苧木さんへの敬愛と感謝の気持ちは、筆者が苧木さんとの関係を通じて学んだ人生の教訓となり、読者にとっても人間関係の価値を再考するきっかけを提供します。

この物語からは、喪失という深い悲しみの中にも、かけがえのない思い出や人との絆がどのように私たちを形作り、支えるかが見えてきます。エッセイを通じて、苧木さんの遺産は単に彼が関わった番組やプロジェクトに留まらず、彼を知るすべての人々の心の中に生き続けることが示されています。

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