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仕事の速度。・・・共同事業を展開するには、互いのシンクロが鍵!

 現在、博多プロジェクトを進めている中で思ったことが、博多在住の相方の仕事の速度及びレスポンスの良さが突出している。それも、無意識な中で、互いにシンクロしているのである。

 日頃から、先を見据えて動いている姿を見ていると、これまで相当訓練されているのか、自己研鑽を重ねて来たのだろうと、感心するばかりとなる。

 博多は、流石に九州最大の商業都市であり、そこで働く商人(あきんど)のスタイルは、この熊本の地ではなかなか見掛けることはない。それほど、アグレッシブであり、有言実行型のビジネスマンは多い。

 明治時代、市制施行当時は、九州で人口が一番多かったのは、何と熊本県の熊本市(5万4千人)であった。よって、それから戦後間もない頃までは、国の出先機関となれば、ほとんどが熊本市に集中していた。

 ところが、熊本市内を見回すと、国の出先機関のほとんどは福岡県福岡市(博多)へ移動したために、民間においても熊本市が支社圏であったはずが、支店圏と成り下がってしまっている。

 地理的にも九州のど真ん中であるけれども、全く地の利を生かしたものが忘れ去られているようだ。その要因の一つに、戦後の熊本の財界がのんびりしており、殿様商売ばかりで胡座をかいていたからに違いない。

 その証拠に、熊本の財界では、今も尚、何の根拠もなく、熊本市が九州の中心であると、恥ずかしながらも豪語している人もいる。プライドが高いのは自由だが、もっと現実を直視して欲しいものである。

 現在の、博多プロジェクトの相方の行動力は凄まじいものがある。他県にも代理店があるが、博多を極超音速ミサイルに例えれば、他県の代理店は水鉄砲のように思えて仕方がない。

 比較にならぬと言った方が適切かも知れない。情けない話だが、経済的に博多と熊本とは、かなりの格差がついてしまった。熊本に居ながら思うことは、熊本の財界がジタバタしても、博多には二度と追い付き追い越しは不可能である。

 蛇足ながら、熊本県内では、全てに行政依存型の助成金や補助金のみで動く経営者がほとんどで、自腹を切ってでも突進する経営者が少ないのも、その要因であるように思えてならない。

西田親生のICTセミナー

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