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山鹿豊前街道絵巻(七)・・・さくら湯界隈

 山鹿名物と言えば、『さくら湯』(山鹿温泉の元湯)、芝居小屋『八千代座』、『鞠智城跡』、そして装飾古墳『チブサン古墳』であろうか。

 豊前街道を『有働自轉車』からスタートしそぞろ歩いていると、右手に酒蔵『千代の園』、そして、交差点手前右手に、日本伝統工法で建てられた重厚な建造物が見えてくる。それが、『さくら湯』である。

 『さくら湯』は、道後温泉と関わりのある建造物としても知られている。実は、『さくら湯』の歴史は、寛永17年(1640年)の細川藩の山鹿御茶屋に遡り、明治期に「山鹿温泉大改築』の後、明治31年(1898年)より道後温泉の棟梁の手により改修を重ねてきたが、昭和48年(1973年)に一度取り壊されている。

 多くの人たちに惜しまれながら取り壊された『さくら湯』だったが、ある日突然、象徴的存在の『さくら湯』復元の話が持ち上がった。取り壊しから、既に40年近くが経っていた。それから、平成24年(2012年)に、九州最大級の木造建築温泉施設として復元されたのである。

 そもそも『山鹿温泉』は古く、800年の歴史を誇る。既述の『さくら湯』の玄関にまつわる話で、『明治17年頃、松山市出身の棟梁が山鹿のさくら湯の玄関を造り、その後に、四国 道後温泉本館の玄関にそれを復元した』とある。 因みに、剣聖 宮本武蔵や医学者 シーボルトなどの歴史上の人物も、『さくら湯』に浸かったと言われる。

 筆者が幼い頃、取り壊される前の『さくら湯』に浸かったことを朧げながら覚えているが、残念ながら、現在復元された新しい『さくら湯』には入ったことがない。幼い頃は、この『さくら湯』の向かいにあった山鹿ホテル(現在廃業)の露天岩風呂に毎日行っていたので、『さくら湯』の記憶が殆ど無いのかも知れない。

 この山鹿の地域は、昔から『山鹿千軒たらい無し』と謳われるほど湯量を湛えるが故に、至る所に『銭湯』が点在し、住人の生活に無くてはならぬ存在であった。

※『山鹿千軒たらい無し』:湯量が多いので、『たらい』を使う必要がなく、掛け流しの湯でじゃぶじゃぶ洗っていたということになる。

 因みに、泉質は無味無臭のラジウムを含む弱アルカリ性。よって、『乙女の柔肌』に例えられるほど、まろやかで肌触り良く、九州圏内では、一、二を争う温泉郷として人気を博している。

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