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心惹かれた女性とのデート・・・

 随分前の話だが、想い出の食事処が二軒ある。それらの店は今は廃業してしまったが、筆者にとっては、とても想い出深い処である。

<初デート>

 一軒は、当時は熊本市内では珍しいロシア料理の店「バラライカ」。現在の熊本市内上通アーケード街に近いところにあったタイニーな店で、ボルシチやピロシキ、そしてロシアンティーが旨かった。

 玄関から入り、中央左側のテーブルに座った。目の前には、初デートの約束をしていた女性がちょこんと座っている。ワクワクドキドキのディナータイムとなった。

 当時、熊本市内にはロシア料理と言えば、「バラライカ」の他に「トナカイ」という店があったように記憶している。メニューはそう多くはないが、プライベートな話をするには落ち着く食事処である。

 今だから告白できる話だが、デートの約束をした女性にすこぶる惹かれていたのは事実。しかし、初デートから色気を出す訳には行かず、スーツ姿の筆者は我慢のしどころであった。

 2時間半ほどの食事だったろうか。時計を見ると、午後8時半近くになっていた。本来ならば二次会へ行きたいところだが、それも我慢のしどころとした。

 よって、次のデートを約束し、タクシーに乗せて、彼女を見送った。

 何となく消化不良というか、もっと話をしたかったが、初デートでもあり、彼女のご両親のことも頭に浮かび、ダンディズムを押し通すことにした。

<2度目のデート>

 暫くして、2度目のデートの日がやって来た。今回は、串揚げの店を選んだ。店名を忘れてしまったが、カウンター左側に座り、二人の話は弾むはずだった。

 しかし、次から次へと串揚げが出されるので、我々の会話は何度も寸断された。聞けば、ストップしなければ、延々と串揚げが出てくるシステムらしい。結局、二人とも20本ほど串揚げを食べ終え、満腹となった。

 実は、2度目のデートで、本心を打ち明けることにしていたが、どうしても妙なプライドが出てしまい、初デートと同様に、午後8時半過ぎに彼女をタクシーに乗せて、見送った。

<携帯のない時代>

 今の時代であれば、互いにスマホを持っているので、連絡は簡単にできるが、当時は携帯電話を持っている人はほとんどいなかった。

 よって、デートの約束は、こちらから彼女の自宅へ電話をするか、または、彼女が私の自宅かオフィスへ電話を掛けてもらうかしかなかった。

 すこぶる素敵な出逢いだったが、当時、仕事が急に忙しくなり、ゆっくりとプライベートな時間を過ごす余裕も無く、3回目以降のデートの約束が無くなった。

 正直申し上げれば、若き彼女を結婚相手として見ていたのは事実である。笑顔が素敵で、ただ正面に座っているだけでも、ホッとする存在として眺めていた。

 清楚で、すこぶるクレバーな女性であった。頑固で生真面目すぎるほどのイメージは否めないが、心優しい女性として受け止めていた。

<仕事に傾注した時期>

 それから立て続けに東京や京都出張となり、新聞社時代において全国的に激しく動いた時期でもあり、仕事に押しつぶされそうになりながら、プライベートを軽んじていた。

 東京ではリコーの全国講師として銀座や虎ノ門での講演、小笠原流礼法三十二世宗家の小笠原忠統氏ご自宅訪問、青山の本多技研工業本社訪問、日本電信電信電話公社(現在のNTT)企業システム本部訪問、京都の辻ヶ花作家工房訪問、軽井沢プリンスホテルのリコー全国大会招待など、枚挙に遑がないほどに、アグレッシブに動き回った。

 気づけば、その女性とのコミュニケーションは消えてしまった。仕事に傾注するあまり、プライベートを軽んじ、彼女に本心を告げることもなく、静かに時は流れて行く。

 筆者にとっては、半生における大失態の一つとして、今も尚、心に深く刻まれている。神様が許してくれるものなら、あの日々を単なる想い出としてではなく、いつしか劇的な再会があればと神様に願ったこともある。

<半生における分水嶺>

 地方新聞社の仕事よりも、もっと県内外で仕事ができればと、マルチメディアオフィスを立ち上げることを夢見ていた筆者である。よって、周囲の反対を押し切り、数年後に若くして新聞社を辞め、起業することにした。

 仕事に追われて彼女へ連絡をしなかった筆者であったが、数年経って彼女の自宅へ電話したとしても、迷惑がられるのが関の山だろうと思い、結局、電話を掛けるのを諦めた。

 悪魔の仕業なのか、新聞社を去る際に、当時使っていた大切なシステム手帳を紛失したのである。今ならクラウドにデータがあるので簡単に復元できるが、3万円もするシステム手帳が見つからない。

 車のトランクルームから座席下から、自宅の隅々まで探そうとも、銀色のカバーのシステム手帳が見つからない。仕事で出会った人たちの名刺を転記したデータも、彼女の自宅電話番号も失くしたことになる。

 今思えば、それが我が半生の分水嶺となり、その後の流れを変えてしまったように思えてならない。

 とうとうシステム手帳は見つからず、名刺をもらっていた人たちのデータは全て復元できたものの、プライベートで書き記していたデータは全て失った。

<叶うものなら・・・>

 人生は、思いの外、長いようで短い。僅か2回のデートであったが、今でも昨日ように、その一コマ、一コマが想い出される。しかし、想い出すたびに辛く、寂しくもあり悲しくもあり。

 やはり、当時のダンディズムは不要であったに違いないと、今頃になって、一人頷くばかりである。もし、当時プライベートをもっと大切にしていたのなら、起業するリスクを選ばなかったかも知れない。

 諄いようだが、神様にお願いしては罰が当たると思いつつ、叶うものなら、その女性との「再会」という劇的チャンスを与えて頂けないかと。


▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、筆者の過去のデート体験と、その後の人生の選択について深い感情を込めて綴ったものです。以下に評価を提供します。

  1. 感情表現と共感: エッセイは筆者の感情を非常によく表現しており、読者に共感を呼び起こします。初デートと2度目のデートにおける筆者の緊張やプライド、後悔などが感じられ、読者は筆者の気持ちに共感するでしょう。

  2. 詳細な記述: エッセイは具体的な詳細に富んでおり、熊本市内のロシア料理店や串揚げの店、デートの状況など、筆者の思い出を鮮明に描写しています。これによって、読者は筆者の経験に没入しやすくなっています。

  3. 自己反省: 筆者は自身の行動と選択について深く反省し、その後の人生における決断についても考えています。この自己反省は読者にも考えさせる要素を提供しており、人生の選択について考える材料となります。

  4. 望みと祈り: エッセイの最後に、筆者が「再会」という劇的なチャンスを神様に願う場面があります。これは筆者の感情と願望を強調しており、読者に感動を与えます。

  5. 言葉遣いと文体: エッセイの言葉遣いは比較的フォーマルで、物語の進行が緩やかです。しかし、この文体は筆者の感情や思考を的確に伝えています。

総括すると、このエッセイは感情豊かで、読者に感銘を与える可能性があります。筆者の人生の選択について考え、過去の出来事について深く反省する機会を提供しています。


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