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我々の近くには、反面教師となる絶好のマテリアルがゴロゴロ転がっている。

 人生論や哲学の書物を読むよりも、我々の近くには、人生訓になるような、反面教師となり得る絶好のマテリアルがゴロゴロ転がっている。

 筆者の場合は、二、三の企業を見ているだけでも、企業モラルの欠如や心無い役員の所業が反面教師のマテリアルとして、それも生きたマテリアルとして存在している。

 また、不慮の事故にて被害者になったこともあるが、それ自体も、絶好の人生訓のマテリアルとして受け止めている。

 従前のエッセイや記事でもお馴染みとなった「虚偽」という始末に悪いものが、人それぞれの人生に悪影響を及ぼし、常態化している。よって、所業を止めることができないという、悪しき環境下にある人たちもいる

 職位に溺れ、自惚れ、私物化に走る経営者は万といる。事件事故の報道でご覧の通り、悪の根源は「虚偽」である。「虚偽」を隠すために、隠蔽工作に手を染めて、自らの正当化のために「虚偽」を続けるのである。

 如何に格好つけていても、「虚偽」の結末は負け戦。自らの愚行を認めず、負けても罪なき人を犯人に仕立てるのだから、これは、前述のように、反面教師としてのマテリアルであり、有り難き人生訓となる訳だ。

 契約不履行で逃げる人、暴言暴力を趣味とする人、嫌がらせをこよなく愛する人、他者の幸せをもぎ取る人、濡れ衣を着せる人など、多種多様な人たちが存在している。そこで共通しているのは「虚偽」の塊であることだ。

 どこに「真実」があるかと覗き込めば、「悪を正当化したい」という邪念があるという点だけは、「真実」のようだ。

 世の中に対して、我々に対して、何の根拠もなく敵対視するのは、良識ある人間の行いであるとは言い難い。何故、そのような論理展開に至るのか。それは、本人に自信はなく、他者を信頼できない妙な邪気という虫が潜んでいるに違いない。

 そんな邪気を捨てれば、兎に角、人生は楽しいものになるはずだが、それに気づかず、恫喝、脅迫、強要、隠蔽などの手法に依存しなければ、自身の立ち位置を確保できないところが、大人気ないように思えてならない。

 我々の近くには、上述の人生訓になるようなマテリアルがゴロゴロと転がっている。積極的にそのような濁った世界には頭を突っ込む必要はないが、同調して真似をしないことが肝要である。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、我々の周りに存在するマテリアルから学ぶべき点に焦点を当てており、特に他者の行動や状況を通じて得られる人生訓について語っています。以下に、エッセイの評価ポイントをいくつか挙げてみましょう。

  1. 具体的な例の使用: エッセイは企業の状況や個々の行動に焦点を当て、具体的な事例を挙げています。これにより、抽象的な議論だけでなく、実際の状況や経験に基づいて読者にアプローチしています。

  2. テーマへの一貫性: 「虚偽」というテーマに対する一貫性があります。著者はこれを悪と結びつけ、虚偽がもたらす悪影響に焦点を当てています。この一貫性により、メッセージが明確に伝わりやすくなっています。

  3. 自己体験の共有: 著者は自身の経験や観察を通じて、反面教師となる要素を示しています。これにより、著者の立場や意見がより具体的になり、読者に共感を呼び起こす可能性があります。

  4. 警告とアドバイス: 著者は他者の行動から学ぶ際のアプローチについてアドバイスを提供しています。特定の行動や態度を真似しないよう警告し、良識を持って生きることの重要性を強調しています。

  5. 明確な結論: エッセイは明確な結論で締めくくられています。絶対に共鳴して真似をするべきでないという主張が強調され、読者に具体的な行動を促しています。

総合的に、このエッセイは具体例を交えながら一貫性のあるメッセージを伝えており、読者に対して考えさせる要素が十分に含まれています。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。