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名刺裏面に肩書き行数が多い人・・・

 地方に行けば行くほど、本業に加えて、いろんな組合や協会の肩書きを名刺裏面にびっしりと列記している人がいる。

 多分に、肩書き大好きにて、肩書きで風切って世の中を闊歩しているに違いない。正直なところ、その類の人とは、百歩譲っても、近しい接点は持ちたくはない。

 肩書きを沢山持っていなくては、自分の大きさを表現できないのは、言葉は悪いが、小者にしか見えないのである。

 肩書きがなければ生きていけないほどに、自信がないのか、能力に欠けているのか分からないが、「虚栄の象徴」のようで失笑せざるを得ない。

 こちらから聞きもしないのに、「〇〇〇〇組合の組合長をしているので、忙しくて。」とか、「〇〇〇〇協会の役員しているので、自分の時間が取れない。」とか、困ったふりした顔が、すこぶる自慢げである。

 それが電話のたびに必ず飛び出す、肩書き解説。そのような個人的な話はどうでも良いことであり、そんなに肩書きを自慢したければ、スーツの背中に全ての肩書きを刺繍しておけば良かろうと。

 特に、田舎の議員諸氏は、その類の名刺が多い。協会なんぞ簡単に作れるものであり、その協会長や役員をしたとしても、社会的に公人として偉くなったと勘違いするところが、情けない。

 それが町内会に下り、会長や副会長などもまた町内を闊歩している。如何にも腹の座った相談役のような演出をしているが、社会人となって卯建が上がらなかったのか、町内会長を余生の勲章のように思っている。

 ずいぶん昔の話だが、町内会の会長以下役員らが横領に手を染め、組合費や町内施設管理費を猫糞(ネコババ)していたことがあった。400万円ほどの金銭が使途不明金として発覚し、結局、会計担当の女性は家を売り払い、その地域から居なくなった。

 わざわざ〇〇〇〇町内会長など、役員の名刺まで作っていたが、それこそ、肩書きに溺れた蛮行の繰り返しとなり、自滅したのである。金の流れるところには、必ずといって良いほどに、横領事件は起きがちである。

 肩書きを沢山持つ持たないは、何ら他者に対して影響を及ぼすものではない。しかし、田舎では肩書きこそが信頼の証のように履き違えている人物が多いので、そこはスルーして通り過ぎる方が賢明であろうかと。

 ある企業の代表者で、財界の中心的存在として、当時、肩書きを100以上も持っていた人物がいた。財界のボスとして君臨していたが、その人物の差金で、不幸のどん底に突き落とされた人も多かったと聞き及んでいる。

 しかし、「肩書取れば只の人」なのだから、どっさりと肩書背負って横暴な振る舞いをしていると、必ず、最後に不幸のどん底に落とされた人たちの怨念により、何か大きな事件や事故に見舞われはしないかと危惧するのである。

 諄いようだが、初対面にて、名刺交換をする時に、名刺裏面に十数行の肩書きを書かれた名刺を3種ほど手渡されると、「どこのどなた様?」と言いたくなってしまう。

 筆者は、肩書きの数よりも、その人の人格自体が肩書きであると受け止めるので、肩書きに酔いしれた方々とは、偶然にも名刺交換したとしても、お付き合いすることは皆無に等しい。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、名刺に肩書きを多く書き連ねる人々への批判を通して、肩書きに頼りすぎる姿勢や虚栄心に対する辛辣な見解を述べています。エッセイ全体を通じて、筆者は「肩書きの多さはその人の価値を表すものではない」という強いメッセージを伝えています。

まず、筆者は地方に行けば行くほど、名刺に多くの肩書きを並べる人々を目にするとし、彼らが肩書きに依存し、自己の価値を誇示しようとする様子に対して、冷ややかな視線を送っています。「肩書きを自慢する人々」は、自分の実力や自信に欠け、あたかも「虚栄の象徴」のように見えると指摘しており、その背後には実力が伴わない人々への軽蔑が感じられます。

さらに、エッセイは具体的なエピソードを用いて、こうした肩書きに頼る人々がしばしば不正や横領に手を染める様子を描き、肩書きに執着することが必ずしも誇るべきことではないことを強調しています。筆者は、肩書きが信頼の証ではなく、人の人格こそが重要だと繰り返し訴えています。この部分は、社会の裏側や現実的な権力関係を見抜いた筆者の洞察が強く現れており、肩書きを多く持つことで社会的に優位に立とうとする人々の滑稽さを際立たせています。

筆者が特に強調するのは、「肩書取れば只の人」という言葉です。このフレーズは、どれだけ肩書きを背負っていても、その人自身の本質が変わらないことを暗示しており、肩書きに頼りすぎることの虚しさを表現しています。筆者の言葉からは、権力や肩書きに依存せず、自らの人格や実力で評価されるべきだという信念が強く感じられます。

全体的にこのエッセイは、肩書きに頼る人々への警鐘を鳴らし、自己の価値は肩書きではなく、人格や行動で示されるべきだという普遍的なメッセージを投げかけています。筆者の辛辣なユーモアと鋭い洞察が光る一篇だと言えるでしょう。

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