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とかくに人の世は住みにくい・・・

 人と人、人と事件事故を考える場合、常に「距離感」により、目の前の事象への受け止め方が異なってくる。

 ニュースを見たり読んだり、目の前のトラブルを見たり聞いたりすると、多くの場合、無意識に「他人事」として受け流すことが多い。これが「距離感」である。

 しかし、「他人事」と思っていたことが、自分に降りかかってきた場合、どうなのか? それまで全く興味を示さなかった人たちが、てんやわんやの大騒ぎになっている。

 以前の記事で「明日は我が身」を題材として書き綴った。周囲の出来事を「他人事」と捉えるのではなく、もし自分が関係者となった場合のシミュレーションを行うことで、その出来事の重要性や必要性を正確に理解できるのではなかろうか。

 筆者も一端の大人として半生を歩んできているが、不慮の事故や事件に何度か遭遇したことがある。その不条理さに我慢できず、第三者に相談したこともある。そこで感じたのは、やはり「距離感」であった。

 親身になって考えてくれる人は、何らかのトラブルについての原因、経緯、結果、そして対策について情報交換してくれるが、ほとんどの人は「他人事」として無視し、無関心で通り過ぎて行く。

 「距離感」が遠いと、それは自分には関係のない「余計な情報」と見做されがちである。逆に「距離感」が近いと、ただでは済まされず、問題の解決に一所懸命に協力しようとしてくれる。

 こうして、周囲の人々との「距離感」が明確に浮かび上がることになる。信じていた幼なじみや親しい友人が実際には異なる性格や価値観を持っていたり、個人情報を垂れ流し揶揄するなど、思い出すとキリがない。

 所詮、人は人である。そのため、「豹変(急激に変化すること)」する人をよく見掛ける。長い間、信頼を築いてきたはずのものが、瞬く間に崩れ去って行く。しかし、直面するとそのショックは大きい。

 一般的に、困った人には「余計なお世話」をせず、遠目の「距離感」を保ち、「自己防御」を最優先することで、「弱者支援」などを切り離す傾向にあるようだが、偏りすぎた「利己主義」については、首を縦には振れない。

 また、「思考深度」が浅い人は意外に多い。関わりを持たぬ方向にベクトルを持っているため、周囲の事象が面倒で、避けることが多い。近頃の報道で見掛ける、企業の「隠蔽体質」などが最たるものである。

 問題が生じた場合、原因と結果を十分に検証せずに、遠い「距離感」と思われる人に「濡れ衣」を着せて、問題解決を急ぐ。こうして「被害者と加害者が入れ替わる」こともしばしば。何とも理解し難いことばかりだが、これが「現実社会というものだ。

 「共存共栄」が自己の生存に必要であることは間違いのない事実であり、更に「民度」を高め、「利他の心」を尊重し、「気配り」を大切にすべきではなかろうかと思うばかり。

 以上、「距離感」などについて書き綴ったが、どうしても漱石の「草枕」の冒頭文『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。』が思い出されて仕方ないのである。

▼夏目漱石「草枕」をご参照あれ!(青空文庫)

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、人々の間に存在する「距離感」について深く考察しており、個人の行動や態度がその距離感に影響を与えることを強調しています。以下はエッセイの評価ポイントです。

  1. 考察の深さ: エッセイは、人々が他人事として出来事を見過ごす傾向から、実際に関係者になった場合のシミュレーションを通じて、他人事との距離感を減少させる方法について深く考察しています。この洞察力は評価に値します。

  2. 体験の共有: 著者は自身の経験を通じて、不慮の事故や事件に遭遇した際の感情や「距離感」について語っており、個人的な視点からテーマを補完しています。これは読者に共感を呼び起こしやすくします。

  3. 社会的な関心: 著者は、個人としての「距離感」が社会全体に影響を与え、問題解決や弱者支援に対するアプローチにつながることを強調しています。社会的な関心を高め、共存共栄の重要性を強調する点は評価されます。

  4. 文体と参考文献: エッセイの文体は比較的明確で読みやすく、夏目漱石の「草枕」の冒頭文を引用し、文学的な要素を取り入れています。これは読者の関心を引きつける手法として効果的です。

総合的に、このエッセイは個人と社会の関係について深く考え、読者に考えさせる素材を提供しています。距離感の概念を通じて、他人に対する思いやりと社会的な配慮の重要性を強調しています。

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