心の動きは、その人のイレギュラーな「一挙手一投足」で読み取れる。
常に感情を露わにする人(喜怒哀楽の激しい人)は、見たままがその人の姿であり、思いであり、ライフスタイルでもある。逆に包み隠さずの言動なので、とても分かりやすい。反面、すこぶる正直者であるとも言える。
また、実際に会う機会がない人であっても、SNSやSMS交換の頻度や内容によって、その人の「今の心」が読み取れる。
本人は気づかれぬようにしているものの、従来とは微妙に異なるリアクションやメール内容を紐解けば、それが「逃げの姿勢」なのか「遣る気があるのか否か」が、じわじわと「炙り絵」のように浮かび上がってくる。
特に仕事関係であれば、そのような「気づかれぬように退散する」、「やってる感を演出しつつ逃げる」という選択肢で動く人は、上の喜怒哀楽の激しい人とは真逆な性格にて、陰湿さと小狡さだけが漂ってくる。
これを「炙り絵」と例えたが、人というものは、本意をひた隠し、損得勘定や心の乱れなどを可能な限り伏せようとしても、その微妙な心の動きは、必ず「炙り絵」のように、くっきりと相手に伝わって行くのである。
例えば、SMSで急に「受取拒否設定」の表示が出る場合、人によっては、深夜のメールは御免被りたいという人もいれば、これまで情報交換のツールだったものへ目を向けたくないという「逃げの姿勢」が伝わる。
SNSやSMSなどのプッシュ機能は、リアルタイムな情報交換に役立ち、秒進分歩の勢いで変化進化する世の中に太刀打ちできるけれども、それを歓迎しない人は思いの外鈍足であり、足を一歩、二歩踏み出すこともなく、地団駄を踏んでいるに過ぎない。
それは余りにも大人気ない所業であり、仕事への情熱が欠落しているだけの話となる。
以前は、B to Bの契約書や覚書においては、その約束事を死守する姿勢が当たり前の時代であった。よって、約束した仕事に気合を入れて邁進していたものである。
近頃思うことは、厳格なる契約書や覚書を簡単に反故にして、とんずらする経営者も結構多い。プライドもなければ、情熱も配慮もなく、単に身勝手な思考回路を持つ経営者としか言いようがない。
電気料金を遅延すれば、電気が止まる。水道料金を払わねば、水道が止まる。電話料金を払わねば、電話が止まる。公共料金と言われるものは生活に直結しているので、何とか払うようにするのが人間である。
ところが、互いの信頼の証である契約書や覚書を破り捨てようが、生活に直結していないので、不払いにて契約不履行のまま逃げ去るのであろうかと。経営者として企業としてイメージダウンばかりか、悪い評判が付き纏うことになる。
人は、自分が気付かぬようでも、しっかりと周囲から見られていることを理解しておかねばならない。それが、SNSやSMSなどのコミュニケーションツールとなれば、即座に、違和感が生じ、無言で篭ってしているなんぞ、犯人探しのターゲットにもなりかねない。
要は、契約書や覚書に実印を押印したのであれば、身勝手な自分本位の我儘をぶつける前に、約束事をしっかりと果たした上で、次の段階の話し合いへ移行すべきではなかろうか。
契約書や覚書を軽視、無視する人は、ろくな仕事観しか持っていない。狭い領域のローカルスタンダードに慣れ親しんでいるので、外界が見え無いのは仕方ないと言うよりも、自業自得となってしまう。
一端の経営者であれば、「恥ずかしさの境界線」を逸脱するような愚行、蛮行に走るものではない。威風堂々と新たなビジョンを掲げ、次のステップへと踏み出すのが、賢明なる経営者としての真の姿ではなかろうか。
「言うは易し行うは難し」であるが故に、「有言実行」を常とせよ!
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