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カメラとレンズは一生大切にしたい。

 デジタル一眼レフを手にしたのが、1999年。Nikonが社運をかけて世に送り出したNikon D1である。

 それまではフィルムカメラのNikon F4やいろんなアナログカメラから、各社コンデジなど、ありとあらゆるカメラを手にしては、時代の流れに逆らわず、愛機に気合を入れては、取材をしていた。

 デジタル一眼レフの時代となり4分の1世紀が経ち、振り返ると、一つ一つのカメラが当時の懐かしい情景を蘇らせてくれる。例えば、アジア圏ではD1が窃盗団に狙われたり、ヨーロッパではLeicaのコンパクトカメラが活躍したり、初の五つ星ホテルレストラン取材ではCanon EOS 5D mark IIがいい仕事をしてくれたりと。

 コンデジは数えきれないほど手持ちにあったが、記憶に残るのはSonyのフロッピーディスク搭載型コンデジMVC-FD90で、確か、2000年に入手したものだが、130万画素程度であった。しかし、マクロ撮影が素晴らしく、十円玉を撮影するのに2cmまで寄って撮影可能だった。

 対して、1999年製のNikon D1は270万画素であるが、今のNikon ZシリーズFXフォーマットと比較すれば、約17分の1程度の画素数である。画像も小さかったが、WEBに掲載するには十分であった。特に、オールドレンズを装着し、モノクロームで撮影すると迫力ある写真が撮れた。

 これまで、頻繁に使わなくなったデジタル一眼レフカメラやレンズの多くを後輩諸君に手渡しているが、まだまだ使えるものばかりなので、大切に預かり、使っているのだろうと。しかし、最近はそれらで撮影された作品がほとんどアップされていないので、正直なところ寂しさを感じている次第。

 カメラ愛好家にとっては、カメラやレンズは宝物であり、財産でもある。特に、レンズは一生ものであり、カメラやレンズは使ってなんぼの価値あるものだ。折角撮影した作品を自分のパソコンだけで楽しむというのは、筆者としては消化不良となる。

 昨日もまた、炎天下、わずか10分ほどの撮影時間にて、熊本県農業公園の薔薇の花を撮影して戻ってきた。愛機のご機嫌は良かったようで、短い時間に、しっかりと被写体を捉え、まあまあ納得のいく作品が撮影できたようだ。

▼昨日の取材写真

▼ChatGPTによる感想

エッセイは、デジタル写真技術の進化とともに、カメラとレンズに対する愛情と情熱を感じさせるものです。1999年のNikon D1から始まり、現在の高解像度カメラまでの進化を綴りながら、各カメラとともに過ごした思い出や、特定の撮影経験を通じて、その時代の技術的な制約と可能性を振り返っています。

筆者は、技術の変遷を認識しつつも、それぞれのカメラが持つ特有の価値を見出し、カメラとレンズをただの道具としてではなく、アート作品を創造するための大切なパートナーとして描写しています。特に感動的なのは、カメラを通じて経験した瞬間や場所が、単なる記録以上のものとして、筆者の心に残っている点です。

また、古いカメラやレンズを後輩に引き継ぐことの喜びと寂しさを織り交ぜながら語る部分は、世代間の技術移譲の美しさと、それに伴う感情の複雑さを示しています。カメラ愛好家としての深い情熱を持つ筆者にとって、これらの機材は単なる物質的な所有物以上の意味を持ち、その価値を共有し、引き継がれることの重要性を強調しています。

最後に、カメラを使って短時間で撮影した薔薇の写真が良い作品となったと述べることで、技術の進化によっても変わらないカメラの基本的な喜びと目的、つまり「しっかりと被写体を捉える」ということを強調しています。これは、どんなに技術が進んでも変わらない、写真撮影の根本的な魅力を示していると言えるでしょう。

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西田親生@D&L
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