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私の家族と蜘蛛

おばあちゃんは虫が大嫌いな人だった。
現代の虫嫌いは、虫に怯え、怖がり、できるだけ触ろうとしない。
でも、うちのばあちゃんは違う。
自分の視界に入る虫は抹消する。
ゴキブリが出たらたたきつぶし、
ムカデでたら踏み殺す。
さすが戦時を生き抜いた昭和一桁世代の女である。

そんな容赦ないおばあちゃんが「虫を殺すな」と言った日があった。

おじいちゃんが亡くなった日だ。

わたしは幼稚園児だったが、この日のことは鮮明に覚えている。

葬儀が終わった夕方、親族が居間に集まっていると、一匹の大きな蜘蛛が床をさささーっと這っていった。
皆がそれを見、部屋の空気が止まった。
その瞬間、なぜだかわからない、私はこの蜘蛛はおじいちゃんだと思った。
だからこの蜘蛛が叩かれるところを見たくない、お願い、誰か助けてと祈った。

そしたら虫嫌いのおばあちゃんがいつになく穏やかな声でこう呟いた。
「この蜘蛛はおじいちゃんや。だから叩いたらあかんで。外に逃がしてあげよ。」

安堵したのと同時にびっくりした。
なぜおばあちゃんは自分と同じことを思ったのだろう。
でもなんとなく怖くて不謹慎な気がして子供の私は聞けなかった。

それから30年の月日が経ち、おばあちゃんが亡くなった。
葬儀のために実家に戻ると、一匹の蜘蛛に出くわした。
あの日のことがフラッシュバックし、
ああ、この蜘蛛はきっとおばあちゃんだと思った。
おばあちゃんは何を言いにきたのだろう。

          ◆

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」はこんな話だ。
地獄の底にいる極悪人のカンダタは、生前唯一良いことをしたという。
森の中で見つけた蜘蛛を殺さず生かしてあげたのだ。
お釈迦様はそんなカンダタにチャンスを与え、一本の蜘蛛の糸を地獄の底に垂らした。極楽に繋がる糸である。

それに気づいたカンダタは極楽を目指して一生懸命糸を登りはじめる。ただ途中地獄を見下ろすと、他の大勢の罪人も自分の後を追い糸を登っている。
重みでぷつっと切れそうな糸を前に、カンダタの人間力が試されるという話である。

ここまで読んで、旦那に聞いてみた。
「自分がカンダタやったらどうする?」
このところキックボクシングに夢中の旦那は自信満々ににこう答えた。
「他の罪人は蹴り落とす!」
腕力を武器に自分だけが助かろうとする、清々しいほどに浅ましい考え。
間違いなくお釈迦様に糸を切られて地獄の底に突き落とされるだろう。

ところで、わたしはどうするだろう。
そもそもSASUKE最終章みたいな高難度蜘蛛の糸登りが自分にできるのだろうか。
人間は追い込まれた時に本性を発揮するというが、他人を罵倒する勇気も気力もないわたしは、どうしようどうしようと思って結局糸が切れてしまうのではないだろうか。

それ以来、蜘蛛を見つけるとこの話を思い出す。
死ぬまでにどないするか考えときやーというおじいちゃん、おばあちゃんからのメッセージなのだろうか。

いやだ。そもそも地獄に行きたくない。
だから、ずっと、わたしは蜘蛛を殺せない。

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