吹奏楽

アート×震災復興〜3.11に考える〜

3月11日。14時46分、黙とう。東日本大震災から、9年が経ちました。

私がアート×復興支援に関わる背景

当時の私は大学院卒業間近。就職を控え、一人暮らしを始める新天地に、母と二人、物件を見に行っていました。電車で実家から2時間少しのところで、不動産屋のおばちゃんと話していたのです。

その時、突如来た大きな揺れ。驚きで、周りにいた人の顔や、閉鎖された駅の改札、そのあと乗ったタクシーの料金メーター、食い入るように見たTwitterの画面、気仙沼の火災の映像、今でもよく、覚えています。

その後卒業式などイベントがなくなり、直接の被災はない中でも、電気が消えていたときの、街の風景が今も忘れられません。

小学校の時、夏休みに家族で東北6県を旅行したことがあります。元々、祖父母の田舎が山形なのですが、福島県五色沼、宮城県では松島、岩手県の浄土ヶ浜、青森県青荷温泉、秋田県田沢湖などの観光地を訪れました。松尾芭蕉、宮沢賢治、石川啄木や智恵子抄の話を聞き、その時感じた東北は、人が優しく、とても文学的で、深い緑とみずみずしさのある場所でした。

特別強いつながりがあったわけではないけれど。そんな思い出もあったからか、震災があって、何かをしたいとずっと思っていました。当初はほとんど何もできず、家族で被災地を訪れたり、友人とボランティアに行ったり、寄付をしたり。ほんの少ししか関わることができていませんでした。

音楽による復興支援の事例①

そんな中、本格的に関わるようになったのは、2015年、震災から4年が経過した頃でした。ひょんなことから出会いのあった、エル・システマジャパンさん。福島県相馬市、岩手県大槌町で子どもたちのために音楽をとおした支援を行っている団体です(現在は加えて、長野県、東京都でも活動実施中)。

元々、”エル・システマ El Sistema”は、ベネズエラで生まれた、貧困にある子どもたちのための音楽教育の仕組み。震災直後、福島を中心に活動していた元UNICEFの菊川さんが、強い想いを持ってこの仕組みを始めたのです。

小さいころからピアノをやっていて、オケも大好きな私は、震災前から、ベネズエラ本家の心底楽しそうな音楽に胸打たれていました。そんな折、なんとなく改めて検索していたら、

「おや・・・日本にもあるではないか!しかも、震災復興の文脈で」と。

そこから色々なご縁がつながり、あれよあれよと、エル・システマジャパンで働くことになりました。震災5年後の2016年には、ベルリンフィルハーモニーと共演する子どもたちに同行するなど、大変貴重な機会をいただきました。その後、現在私の本業ともなっている、事業評価の仕事へとつながりました。

エル・システマジャパンは、設立当初から地方自治体と協定を結び活動をしていることも、特徴的です。都心部出身の若い人が、子どもたちのバイオリン講師となるために、大槌町に移住して仮設住宅に住むなど、地元に根付いて活動することを重視しています。

参加する子どもたちは、本当に楽しそうで元気で、神童と評されるようなめちゃくちゃうまい子が出てきたりして。環境の変化もある中、今も継続して参加し、音楽大学に進学する子が出てきたり、子どもたちを中心に、さまざまな変化をもたらしています。

はじめは、外に出られない、不安の中の福島での、子どもたちの居場所としての機能が強かったかもしれません。そこから徐々に、子どもたちの前向きな活動となり、周囲の人々に広がり、良い循環が生まれてきているように思います。まち自体が、復興支援という文脈から、芸術文化を推進していくという文脈に進化している様子も見えてきています。

音楽による復興支援の事例②

もう一つ、ご縁があり、東北における日本フィルハーモニー交響楽団さんの取り組みに関わっています。日本フィルさんは、震災直後から、丁寧に継続した活動を続けていて、被災地でコンサートやワークショップ、吹奏楽部の学生などに向けた演奏支援を行っています。

オーケストラが行うコンサートやワークショップと聞くと、単純に慰問公演ね、と思う方もいるかもしれませんが、この企画~実施のプロセスが、実はまったく単純ではありません。

一つのコンサート、ワークショップをやるために、足しげく東北に通い、地元の人たちのニーズを掘り下げる。掘り下げる前に、そもそも”人対人”のつながりをとても大切に作り上げていく。地域によってその「被災」「復興」という中身が違うことを、手触り感のある形でしっかり把握してから、音楽で何ができるかについて、真摯に考える。直前まで音楽家や事務局が、議論する。

こうした企画設計の徹底ぶりは、真に「人」を見ている活動だからだと思います。

丁寧なニーズ把握と企画により、数々の魅力的なプログラム、その成果として地域の人たちの新たな取り組みが生まれています。例えば、地元の郷土芸能団体とコラボが実現したり、他地域のコンサートに演者/観客としてそれぞれの地域の人が参加したり、地元の吹奏楽部の保護者さんが新しい企画を立ち上げたり。

現地に同行すると、いつも感動で涙することがあります。昨年訪問した中で最も心に残ったのは、2年前に再開された福島の富岡小学校で、子どもたちがふるさとの歌を元気に歌う姿を見たことです。「この地域はこの先数十年、きっと元気だろうな。」と感じさせられました。鑑賞に来ていた地域の方からも、同じ声が寄せられました。

復興支援におけるアートの力

私が関わるアート×復興支援の事例は、いずれも音楽(主にクラシック音楽)をとおしたものですが、その他アートフェス、ダンス、美術などたくさんの事例があります。多様な事例も含め、アートだからこそできることがあると、私は信じています。以下に、主に感じる3つの点をまとめました。

1.フラットなコミュニケーションが可能になる

アートの多くは非言語コミュニケーションにより、フラットなコミュニケーションが可能になります。震災直後も、しばらく経ってからも、常にアートは、被災地の人々にとって、そこに「いてくれる」。そんな感覚があります。「ありがとう」や「感動したよ」という言葉を発する方もいれば、ただただそこで見ている方もいる。何かをしてあげる、してもらうといった構造を超え、時間を共にし、伝えあい、共に作ることのできるコミュニケーションこそ、被災地に必要とされることは多いと考えています。

2.個人の内的な、あるいは空白の時間を作ることができる

フラットなコミュニケーションに加えて、アートに触れるその間、個人の内的な時間、あるいは空白の時間が作り出されます。目の前にたくさんやるべきことがあったり、不安なことがあるときに、絵をみたり音楽をきいたりする中で、ある意味目の前の現状から離れて時間を過ごすことができる。それは個人にとっては癒しとなり、力となるときもあると考えます。

3.現状を伝える媒体となる

震災の現状を言葉で伝えるのに弊害があることもあります。伝えづらかったり、伝えられる人が限られたり。アートは、そんなときに一つの媒体となれる可能性があります。もちろん議論を巻き起こすこともあります(有名になった件では、Chim↑Pomさんの岡本太郎「明日の神話」の件があります)。日本フィルさんのように、直接地域の人々とやり取りするケースにおいても、まさに媒体として機能していて、彼らは寧ろ、東北での活動を発信し続けることで、現状を外の人に伝え続けたいという想いが強くあります。

復興支援におけるアートの力について、私自身が関わる事例をとおし、まとめてきました。私が関わるのは、アートをとおして復興支援をするケースですが、震災にインスピレーションを受けて生まれるアートというケースもあると思います。

どちらのケースも、被災地の人々の力になると、私は思っています。それはアートがどこまでもフラットで、変わらないけれど、新しいからなのだと思います。

今後も、東北に限らず、アート×復興支援の取り組みがつながっていくように、働きかけていきたいです。

読んだ方が、自分らしく生きる勇気を得られるよう、文章を書き続けます。 サポートいただければ、とても嬉しいです。 いただきましたサポートは、執筆活動、子どもたちへの芸術文化の機会提供、文化・環境保全の支援等に使わせていただきます。