自分の発した言葉。

自分の発した言葉は
自分の声で
相手に届きます。
相手に届きますが
その言葉の真意は
どのくらい、どの程度
本当に、バシッと的を射抜くように
届いているでしょうか?
それを測ることは難しいです。
実は分かってくれているようで
全く、全くかどうか?も測れないくらい
分かってくれてなかったんだ。
ということを思い知ることがあります。

が、しかし。です。
分かってくれたかどうか?を測るのが
私という狭い?小さい?度量の測りであったら
そもそも、
その測りの性能がボロいのではないか?
……という疑問に行き着きました。
……ということは、結局、自分次第。
ではないか?と。

相手に放った
俗に言う 説教めいた言葉は
そのまんま、ブーメランのように
私めがけて、戻ってきました。
戻りのターンの方が激しい勢いで
私の胸をえぐります。
「どの口が言う!?」
「ちゃんちゃらおかしいわ。」

恥ずかしい人間には、なりたくない。
自分の力量を客観的に見られる、
決して卑下するのではなく
謙虚というか、先ずそこは認識したうえで
やっぱり、自分との約束を、小さな約束を
守れる自分でい続けたい。
と思います。

今の自分は、借り物というか
磨き続けないと
鍛え続けないと
すぐに、くすむ、錆びる、朽ちていく。
と思います。
それは嫌です。

我、わがのことは、もういいです。
相手あっての自分でありたい。
と思いますが、元来の甘え体質は
ちょっと頑固な歯石のようです。

我慢強く、付き合って、向き合って
そのうえで、断捨離したいです。

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