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ヒヨコからの脱却

どんな仕事でも、最初はみんな初心者。
それは医師も同じ。
国家試験に合格して医師免許を手にしても、いきなり何でもできるようにはならないどころか、最初は上級医の助けがなければ本当にびっくりするほど何にもできない。
そんなヒヨッコに患者さんの命は預けられないので、今の日本の制度では初期研修の2年間は必ず上級医の見守りやフォローがあって、患者さんも研修医自身も守られている。
3年目からはある程度ひとり立ちして、責任のある仕事を任されることもあるが、それでも一人でやれることは限られている。
確かにできることも増えてくるから、この辺で自分の力量を勘違いすると100%の確率で痛い目にあう。医師の仕事なめんなよ。

私が3年目の頃は、いつも5年上、10年上の先輩に助けてもらっていた。1年、1年、と経験を重ねていっても自分に自信が持てず、心のどこかではずっと「私で大丈夫だろうか。一人でやれるだろうか。」と不安に思っていた。自分の未熟さが原因で誰かを死なせてしまうことが怖かった。

だけど…
いつまでもヒヨコではいられない。


これは私が医師8年目の頃の話。

週末、ある町立病院に当直に来ていた。

朝から具合が悪かったけど、自宅で我慢していたという患者さん。
その病院に勤務している看護師Aさんの知り合いで、心配したAさんが夕方に見に行ったところ、ただごとじゃない様子。
これは受診しなきゃだめでしょ!と、救急車を呼んで病院に連れてきてくれた。

主訴は胸苦。
来院時は苦しいながらも受け答えができていたけれど、十二誘導心電図をとろうと準備をしている間に、モニター心電図の波形が突然sinus(洞調律)からVf(心室細動)に変化!
呼びかけに応答しなくなり、脈も触れず、心肺停止状態。
まだその場にいた救急隊員に胸骨圧迫をしてもらい、すぐに電気ショックを実行。1回で自己心拍再開。ほどなく意識も戻った。
心電図では、医学生でもわかるぐらいの完璧な心筋梗塞の所見。
すぐに高度な医療を受けられる病院に電話して受け入れをお願いし、転院搬送となった。

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翌月、またその病院の当直に行った時にちょうど看護師Aさんに会って、「その後」を知ることができた。

あの後、緊急で心臓カテーテル検査をして、冠動脈にステントを入れて、2週間程度で退院して、今はお元気になっている、とのこと。
ああ…本当に良かった…。

Aさんに「先生に早く伝えたかったんですよ〜。本当に感謝しています。」と言われて、さらに嬉しくなってしまった。
でも、一番のファインプレーは、患者さんを受診させてくれた看護師Aさん。もう少し遅かったら、危ないところだった。


さらに医師15年目の今、このエピソードを振り返ってみて。
もし、当直医がその時の8年目の私じゃなくて、研修医上がりの3年目の私だったら…。
ひょっとしたら、助けられなかったかもしれないし、命は助かっても後遺症が残ってしまったり、社会復帰できなかったりしたかもしれない。

心肺停止患者さんへの対応は、研修医の頃から何百回も何千回も何万回も(盛り過ぎ)シミュレーションしてきたし、実際の症例も数え切れないほど経験してきた。だから少しも迷う余地はなかった。いつも通りにやるだけ。
冷静に、迅速に、適切に、動けていた。
あの時、私は確かに自分の成長を実感した。

15年医師をやってきた今も、「自分は何でもできる」なんて万能感は持ち合わせていない。どちらかというと、自分のちっぽけさに打ちのめされることの方が多い。いつだって悩んでいるし、迷っているし、自問自答を繰り返している。
「私が命を救った」なんて傲った言い方はしない。「先生に命を救ってもらいました」は、患者さんから言われることはあっても、自分でそう言うのは傲慢でしかないと思うから。
自分が関わることで、死ななくていい人を死なせずに済んだ、ただそれだけのこと。

自己肯定感が低くて、メンタルよわよわな私が「生きていてもいいんだ」と思えるようになったのは、医師という、わかりやすく社会に貢献できる職業に就いているからだと思うし、仕事にしがみつくことでかろうじて自尊心を保ってきた。
救われているのは私のほうだ。


#何科医もろちのカルテ

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