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しまっちゃえ、義実家!<9>

T某が、「うちにあるタオルは古すぎたり、毛羽立ちが多かったりで使いにくいものが多い」というので、実家に帰った際、使ってないタオルがないかと妹と押し入れを探しました。特に、父の部屋のやたらでかい押し入れ。
やっぱりあるもので、箱に入ったまま寝かされていた贈答用のよさげなバスタオルと一緒に、相当前に頂いたと思われる高そうな綿毛布が出てきました。
これ、少し前にどっかでやったなぁ。デジャブかな。

引っ張り出して、滞在中はT某に使わせてました。いいものは使おうよほんと。
(その隣の毛布の箱からは、なぜか使いかけのコピー用紙の束が出てきて脱力した。妹が有効活用しています。とっておく基準がわからん)

納骨で故人を偲ぶ(義父以外の)

さて、実家から戻った翌々日。
義父の納骨に行ってきました。
T某が車を出してくれたので、今回は私は助手席。夫は後ろ、義父はそのさらに後ろ。
最強寒波襲来の翌日、関東はとてもよい天気でした。アクアラインに入る前から富士山くっきり。今からあそこに行くんだなぁと思うと、不思議な気分。

海老名近辺で渋滞にはまった以外は概ね順調で、どんなに好天でも少しは雲がかかっている富士山が、午後になってもくっきり見える。
予約していたので、手続きもスムーズです。継承の手続きとか今回はしないみたいで(夫が書類等を揃えたので納骨の手続き自体は私はノータッチ)、読経等もないのであっという間でした。
寒いけど、よいお天気。
ここに来ると思い出すのは、義兄の墓参りのときに連れてきた叔母のことです。
ああ、あのとき連れてきてあげてよかったなぁ、と涙し、帰りに寄った富士川のサービスエリアで、叔母にはこれを買ってもらった、一緒にこの道を通った、みんなで食べたこれがおいしかったと、
義父の納骨なのに私にとっては叔母を偲ぶ旅のようなものでした。

その翌々日に、叔母の娘さん宅にお土産を持って行きがてら、仏壇に報告。
娘さんはいませんでしたが、ご主人が迎えてくれました。
叔母が畑として使っていた土地は、今はすっかり除草シートが敷かれ、駐車場のような扱いになっていました。その隅に積み上がった、木の板やらなにやら。
「終活って奴ですよ、使ってない婚礼ダンスとか、ばらして二階から放り投げて」とかさらっとすごいことをいう。
親世代のため込んだもので苦労してしまうと、やっぱり早めの整理を考えてしまいますよね。叔母の娘さんも、義実家の片付けで苦労しているので余計に。

「そちらも(義実家の整理)大変だったでしょう、家具の処分とかお金かかりませんでした?」
って聞かれたけど、行政のサービスフル活用でこつこつやってきたから、実はそんなにお金使ってないんですよね。
今思えば、義父が倒れて、なくなるまでのほぼ四ヶ月の猶予、整理の上でもとても有利だったんだなって、思います。

そうそう、義父のはいっていた死亡保険の、オプションの入院保険。
一年の支給上限が120日分、つまり四ヶ月分だったので、支払われる分は丸々支払われたのでした。四ヶ月の猶予、やはり意味があったのかなと。
叔母が最後の最後まで、手を貸してくれたのかなぁって、思っています。

行政の手続き、ほぼ完了して、残るは、残高がいくつか不明だけど相続手続きしておかないとすっきりしない某銀行の義父の口座の処理。
必要な義父の戸籍の残り部分をとりに、埼玉に行くイベントが今月半ばにあります。
夫一人行けば済むんだから、一人で電車で行ってほしいんだけどなぁ。

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