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義父が入院したらしい<4>

書き漏らしたこといろいろ。

続・ココロオドラナイ

義母の亡くなったあとの片付けの際に発掘された、溜め込まれたあの円形の金属の話を覚えてるでしょうか。

義母が残して叔母が仕分けたものは両替が終わりましたが、義父の部屋の引き出しをチェックしていたら、やはり似たような小銭の塊が、銀行の封筒に何枚分も入って出てきました。一応、一円と五円に分けてはありました。

義母が介護病院に送り込まれ、気ままにソロライフ(ヘルパーさん必須)を満喫していた義父。
義父はお酒に口汚くて、あの頃でも、缶チューハイ二本とかあけてそのまま寝てたようです。
叔母が来てたときは叔母に頼んでいたようですが、それ以外の時はどうしていたかというと、お水を買うために宅配して貰っていた近所の酒屋さんに、持ってきて貰ってたみたいですね。

電子マネーなんか使うわけもなく、現金です。叔母が存命だった頃は、ちょっと手元に余裕を持って持たされていたから、買い物はお札でしていたようです。当然お釣りは小銭。
手元もおぼつかず、計算も難しくなってたんじゃないかと思う。貯まった小銭は使われることはなく、引き出しの、封筒の中に入れたまま。それがもう、何年も。

義母の時は、一円玉だけだったので、とんでもない手間でした。
今日、持ち帰った小銭のうち五円玉を入金機で両替しましたが、五円玉は楽ですね。あっというまにこぶし大の一袋が五百円玉になりました。
これは義父のお金なので、必要な買い物の足しにします。

あれやこれや

書き忘れてましたが、金曜日の検診の帰り道に、叔母のお墓に寄ってきました。
義父が入院した報告。
お酒好きだった叔母に、コンビニでビール買ってカルパス買って。まぁ樹木葬のプレートの墓石なので、ちょっとお供えして持ち帰ってくるんですけどね。

義母のお近くの墓石、気がついたら去年あたりの命日の方の名前が増えてました。お年も同じくらい。
賑やかになってきたねぇ、となんとなくお話しして、
そっちには義母もいるし、義父もさっさと連れてってよとも思ったけど、
まぁ、みんながあんまし悪い事にならないように、ほどほどにしといてくださいって程度に、しときました。

義父は、ずっと見て見ない振りをしてきた人です。
義祖母(義父の母)にいじめられる義母も助けることはなく、晩年、認知症がすすんだ義祖母の世話も義母に任せきり。その義母に過干渉される私たちも、(表向き)介護のためと同居したのに何かにつけてダメだダメだと義母に罵られる義兄も助けることはなかった。
認知症がすすんだ義母を気にかけるでもなく、たまに義母の様子を見にやってくる叔母にまで自分の用を頼み、自分は足が痛いのを言い訳にして部屋に引きこもり、義兄の葬儀にも出てこなかった。

一番楽をした一番ずるい人が、結局ヘルパーさんのお世話でギリギリまで一人暮らしを楽しんで、今も病院で他人の世話を受けている。
世の中は不公平だ。

あの人が、これから死ぬまでの間に今までの分を支払うことがあるんだろうか。
たぶん、本人はたいしたダメージを受けないまま、そしてたいした感謝もしないまま、手厚い医療体制の中でゆっくり死んでいくんだろうなと思う。他人の血を使って貧血の症状を緩和しながら、看護師さんや介護士さんにお世話され、衛生的にゆっくりと。
別に九十の老人に、今更報いをうけろと言うつもりはないけど、せめて周りには、もう大きな迷惑をかけずに終わっていただきたい。

そんな感じで、叔母には、
「あんまり悪いことにはならないようにして欲しい」って言っておきました。


そうそう、新聞は、義父のご近所でいつもお世話になってるTさんに電話したら、販売店に連絡してくれるとのことで、そのまま解約できそうです。
義父の状態に急変や余計な用事が出来なければ、次の都内訪問は金曜日。

その間は、電話で出来ることを片付けます。入院の保険請求とか、紙おむつの支給の確認とか。出来る範囲で、頑張りすぎない程度に。
まだ私的に、『本番』ではないので。

電子書籍の製作作業がんばります。応援よろしくお願いします。