循環していく
義兄が亡くなり、義母が亡くなり、少しづつ進めていた義実家の片付け。
義母が亡くなって以降も、行く度にゴミを運び出していましたが、
義父が入院し、もう義実家に戻る見込みはないと判断されてから、片付けは更に加速し。
大物家具もだいぶ減り、問答無用で処分するものと、リサイクルショップでひきとってもらえそうなものとが、把握できるようになりました。
義母が買いためたディ○ニーグッズも、先日、バスタオルを大量処分したことで一気にかさが減り、残り衣装ケース3~4個ほどになりました。計測が大ざっぱなのは、大きな茶箱にぎっしり入ってるものがあるからです。
処分するべきものの残りがやっと把握できるようになって、ただ捨てるよりも役立てられる方法は無いかと、考える余裕が出てきました。
例えば、義父のベッドの陰に何故か隠れていた古い扇風機二台。
一台は義実家で、空気の入れ換えの時に稼働し、もう一台は今、私の職場で働いています。
この夏はとても暑くて、物陰になって冷気が行き届かないところで使ったところ、大活躍です。9月になっても暑いので、とても大助かり。
出入りが激しくて埃も多い場所にあるので、どれだけ持つかはわからないけど、義実家で使われないままでいるよりは、なんだか喜んで働いてくれているような気がします。充実した余生を送ってくれている感じです。
モノには念が宿るのだと思う
義母が買いためたディズ○ーグッズは、古くても状態さえ良ければ喜ばれるのは判っています。
が、フリマサイトでちまちま売るには、数も多いし手間もかかる。手間を時給と考えれば、一気に処分できる方法が望ましい。
十把一絡げでリサイクルショップにひきとって貰ってももちろん構わないのだけど、調べたら、家の不要品もひきとって、換金して寄付に回してくれるという活動をしているところがあるようです。
これだと、台所の不要品とかも、状態が良ければひきとってくれるようだし、義母が残した杖なんかもありますから、一緒に送ってもいいかもしれない。
片付けに手をつけ始めた頃は、特に価値のなさそうなものは片っ端から捨てていました。その捨てた中にも、役立ててもらえそうなものは多分たくさんあったはず。
でも、その時はその時で、必死だったのです。少しでも減らして、先の見えない状態から解放されたかったのです。
私が好きでシリーズを集めている今市子さんの「百鬼夜行抄」というマンガの中で、山で集めた石が呪いの道具として用いられているお話があります。
ひとつひとつに宿っているものは些細な念でも、それが集まると大きな力を発揮する。逆に、それを分散させて処分すれば、念も薄れて呪いの効力はなくなる、というようなお話で。
溜め込まれたモノというのはまさにそう。
義実家では特に、義母が集めに集めたディ○ニーグッズが、義実家全体を支配していました。一時は、義兄名義の部屋も支配していた大量のグッズ。
「価値のあるものなのだから」「義兄が結婚したら」「いつか孫に」「いつか」
いつかは来ないまま、義兄は未婚のまま亡くなり、長い間誰の役にも立たないまま押し入れに眠っていたディズ○ーグッズ。義母が施設にはいった後も、そのまま亡くなっても、宿った怨念が、処分しようとする私を拒んでいた気がします。集約された念を薄めるためには、勢いに乗って捨てていくのがまず必須だったんでしょう。
「押し入れを圧迫するだけのモノに価値はない!」
「いつかは来ない!」
その中で使えそうなモノを
明らかなゴミと、役に立てられそうなモノが可視化されてきて、それまで見えていなかったモノが目に入ってくるようになりました。
例えば、押し入れでディズニーグッズを詰め込まれていた茶箱。
何の気なしに調べたら、茶箱、今DIYのブームらしいですね。フリマサイトでもそこそこ出品されていてびっくりしました。大きいモノはテーブル代わりに出来そう。
捨てるのも大変だし、売ってもいいけど、その前に、やっと押し入れから出てきたのだから、少し綺麗にしてテーブルがわりに義実家で使ってあげてもいい。
納戸に押し込まれ、モノとしては死んだも同じ状態で怨念を宿したまま処分するよりは、最後に家の役に立てて、少しでも浄化させてあげたい。
もうすぐ、一つの歴史が終わる部屋の、最後を見送るメンバーに加えてあげたいものです。
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