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<5>ようやく大病院。ふたたびの組織採取。治療の開始の道は遠い。

2020年2月下旬


クリニックで紹介状をもらってすぐに日赤病院に電話をした。そして、その週の金曜日の午後に紹介状を携えて日赤に向かった。

冬の午後、薄曇りで風が冷たい。

広尾駅から日赤までの坂道はかつて自分が住んでいたマンションがあり、なじみのある道のりである。懐かしい。

とはいえ、なんだか景色が違って見えるのは家路につくあの時とは全然目的が違うからだろう。

その日の日赤病院はとにかく空いていた。

今まで何度も来ているけどこんなに静かな院内は初めてかもしれない。

紹介状受付に行き、初診受付手続きを済ませて婦人科に行くように案内される。

婦人科の受付に行くと30分位で順番が来ることを告げられる。空いているのに30分。混んでいる時だったらどのくらい待たされるのだろう。

1階のコーヒーショップに行ってメールチェックでもして待っていよう。日赤病院は受付で診察の順番が来ると呼び出し音が鳴る端末が渡される。これのお蔭で院内に居さえすれば待ち時間はどこにいてもいい。

今日にでもいろんなことが決まっちゃうのかな、と焦りの気持ちを抱えながら、タブレットを開くも結局メールチェックは全然出来なかった。

ぼんやりと仕事のノートに目を落としながらアイスティーを飲む。病院内はあたたかく、そして乾燥していた。喉の渇きまかせて飲んだアイスティーはすぐに氷だけになった。

ブルブル!と振動とメロディーがなる。婦人科の待合コーナーに戻る。

ほどなく名前が呼ばれて診察室へ。

眼鏡をかけた小柄な男の先生が紹介状と検査結果票を見ながら優しい口調でこれからのことを説明してくれた。

 “もう一度組織を採っての検査と血液検査、MRIとCTの予約を取って、それらを合わせて最終的にどの程度の癌なのかを見極めますからね。”

え、また組織取るの…。

そして今日にでもMRIとCTとるんだとおもったら「予約」…。

なんだか道のりが遠い。

すぐ横の内診室でまたあのの嫌な汗をかく検査。

これ何とかならないのか…と心で愚痴りながら内診室を出て、診察室で手続き用のファイルを受け取ってこの日は何の目安も出ないで終わり。

そのまま治療相談予約受付テーブルでMRIとCTの予約。

CTは週明けの火曜日。

MRIはそのまた一週間後。

そこでようやくどんな治療をするかを先生から聞くことができる。

癌細胞が見つかってから、治療の開始まで1か月はかかるのか。これはちょっと予想外。

けれど、実際は2か月以上かかることになる。


そうだ、そろそろこの癌のことを夫に言わなければ。いろいろ生活変わりそうだし。親には言うべきか言わないべきか。心配かけたくないし、心配され過ぎると面倒くさいし。会社にはいつ言おうかな。まぁ治療方針が出てスケジュールが見えてからだな。仕事、滞るかな。何とか最短最小限で済みますように。あ、医療保険のこと確認しておかなくちゃ。治療費どのくらいかかるんだろう。

気持ちの混乱が私を覆い始める。


病院がかつてないほど空いているのは、COVID-19のリスク回避のために不要不急で病院に来る人がいなくなったから、という不条理。

そしてそれはすぐそばにある「恐ろしいなにか」として人々の気持ちに入り込んでいる証拠でもあった。



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これを読む人、
特に40代から50代にかけての女性、
そして関わる周りの人に
私のこの出来事にまつわる話を伝えることで
何か役に立つこともあるかもしれない、
そんな思いでしたためることにした。

大学病院の病理検査でクラスⅣと診断され、ステージはⅠとⅡの間、癌とは言え早期に処置できる段階で見つかった子宮体癌。

「全く命に別状はない」ところでの癌治療。

ところが意外と手間暇かかり、こんなことも起こるのか!ということもあり、しかもCOVID-19真っ最中の出来事で社会的にも特殊な時期でもあり、記録に残そうと思った。

仕事、手術、治療、自分の気持ち、そのままに書こうと思っている。

しばしお付き合いいただきたい。


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